前回までのあらすじ
馬郡バス停から出発して7時間半が経った午後2時、掛川を後にするところです。
磐田からの歩き、袋井からの大迂回と苦戦を強いられつつ、本日のハイライトにして難所・小夜(さよ)の中山へのアプローチが始まります。
日坂を目指して
49本目
掛川バスサービス 東山線 東山 行き
連雀14:12発→日坂14:30着
300円
東山行は掛川バスサービスの路線。
秋葉バス同様、静鉄から分社化され、カラーリングは三社それぞれ同じデザインの色違いとなっています。
また、この路線は浜松→見付以来、きれいに宿場間を直結してくれるありがたいバスでもあります。
小さな車体ながら、エアコンが効き、山道をもろともせず登っていくバスでの移動は快適そのものですが、日坂で降りた後は長い峠越えが控えています。
バスは東海道を正確にトレースしますが、この間の国道1号線はバイパス化されているので、思いのほか交通量は少ないです。
途中の乗降はなく、停留所を告げる放送だけが淡々と流れています。
「ことのまま八幡宮」という印象的な名前の神社を過ぎると、バスは唐突に狭い路地へ入りました。
車窓に一瞬日坂宿跡をかすめると、そこが日坂バス停。
バスは我々を降ろすと、さらに山奥へと走り去って行きました。
当たりは静寂に包まれ、いよいよ峠越えが始まります。
日坂宿→金谷宿
この先は、またしても路線バス空白地帯です。
ただ、これまで途切れていた箇所のように「最近まで走っていた」と言うこともなく、正真正銘のバス無し区間。
静鉄が1970年代まで西部国道線として袋井~金谷間を走らせていた記録はありますが、掛川金谷間は菊川駅経由だったため、日坂やその先、中山トンネルは通っていないはずです。
したがって、はなからバス停や路線を探すこともありません。
大人しく西の鈴鹿峠、東の箱根峠と並び称された難所「小夜の中山峠」へ取り付きます。
バスで走ってきた県道(旧国道)を渡り、国道1号線の高架橋をくぐると、いきなり凄まじい上り坂です。あまりの斜度で、気を付けないとひっくり返りそうです。
日坂宿で見上げていた1号線の高架橋をあっという間に見下ろして、薄暗い山中の急坂を、ひぃひぃ言いながら登ります。
広重描いた日坂には、壁のような峠道が描かれ、マンガ的な誇張に「んなあほな」とさえ思いますが、今ならああ描きたくもなるのも分かります。
想像以上の峠道に、これが続いたらマズいぞ…と思い始めた頃、徐々に視界が開けてきました。
すっかり国道から離れ、車の音は聞こえません。
旧東海道のこの道にも車が入ってくることはほぼないので、辺りはとても静かです。
聞こえるのは木々を揺らしながら吹き抜ける風の音のみ。
雑然とした郊外の風景が続く東海道の旅路では、ここまで緑いっぱいの風景は稀少です。
夢中でカメラに収めていると、相方との距離が広がりました。
緑と風を全身に浴びながら、ひとり黙々と歩きます。
時折、歩きの旅人とすれ違います。
二人連れ、一人きり。歩き旅のスタイルも様々です。
ところどころで、茶農家の方がお茶を刈る作業をしています。
点在する歌碑の言葉をかみしめながら、ただ淡々と時が過ぎていきます。
うーん、気持ちいい。
歩くって、こんなに気持ちいいことだったのか。
不安と共に汗水たらして登った急坂からのコントラストが、この爽快感を産んでいるのか。
鬱蒼とした林の中から、視界いっぱいの緑と青の世界に解き放たれたカタルシスなのか。
いま、古より旅人が踏みしめた同じ道を、私も歩いている。
しばしバスのことなどすっかり忘れ、感激していました。
あぁ、これが、街道歩きの魅力なのだろう。
時を超え、人が編んできた歴史に思いを馳せ、今を生きることを確かめる時間。
少しずつ、でも着実に自分の脚で前に進む喜び。
まだ見ぬ風景や出会いを求めて移動するという、人間の原初的な欲望を満たす心地良さ。
それを五感で感じる愉しさ。
小夜の中山という難所は、私にとってとても思い出深い場所となりました。
穏やかなサミットを越えると、程なくして小夜の中山公園が見えてきます。
その向かいにある「扇屋」で、しばし休憩します。
ここは江戸時代以来の茶店で、今は掛川市から委託を受け観光案内所として機能しているそう。
振る舞っていただいたお茶と共に、名物の子育飴をいただきます。
店の主人は増改築を繰り返していると仰っていましたが、部分的には江戸期当時の建材が残っているようです。
日坂からここまで歩いてきたこともあってか、まるでタイムスリップしたかのよう。
ちなみに扇屋さんが店を開けているのは土日だけとのこと。
磐田のあたりでは今日が土曜日であることを恨めしく思いましたが、捨てる神あれば拾う神あり。
山あり谷あり、まったくバス旅は人生そのものです。
さぁ、あまりゆっくりしてもいられません。時刻はもうじき4時になります。
小夜の中山峠はもう坂を下って終わりですが、下った先は菊川が刻んだ谷で、金谷宿に至るにはまだまだ山道が続きます。
道は下り坂に転じましたが、見晴らしの利く道からはもう次の越えるべき山が見えています。
間の宿・菊川での奇跡
さて、坂を下りきりました。
小さな集落がありますが、ここは間の宿・菊川。
「菊川市」と言えば、JR東海道線の菊川駅、高校野球の強豪・常葉菊川、それから東名高速の菊川インターがあるあたりを想像しますが、ここからはかなり離れています。
それもそのはず、このあたりは島田市菊川。
菊川市、その前身の菊川町はいくつかの村の合併により生まれたため、地名としての元祖菊川はこちらですね。
菊川の里を抜けたらもうひと踏ん張り、石畳の金谷坂を経て、越すに越されぬ大井川が待っています。
不意に、少し先を歩いていた相方から私を呼ぶ声がします。
「ありました!ありました!」
何だろう?
「バスが!!」
え??
「すぐに来ます!5分後です!!」
本当に?ちょっと想像していませんでした。
でも、確かに、菊川の里会館の前にバス停があって、そこには16時05分と書いてある。
しかも、怪しい●マークは「土日も運行」とのこと。
(印を打ってある方が運休というパターンが多い気がするが、ここでは逆)
ただ、相変わらず周囲は静かで、人影はおろか、車も殆ど通りません。
バスが来る気配は皆無です。
半信半疑のまま、定刻を待ちます。
16時5分を過ぎました。
バスがやってくる気配はありません。
こういう時の1分は長く感じます。
当たり前ですが、バスは時刻通りに来るとは限りません。
もし歩くとなれば、もうひと山越えなければなりませんから、乗れないよりは、乗れたほうが嬉しいです。でも、降って湧いたような話で、いまひとつ信じられません。
50本目
島田市コミュニティバス 菊川神谷城線 金谷駅 行き
菊川の里会館16:05発→金谷駅16:35着
200円
本当に来ました。
嘘でしょう?本日の最終バスです。
狙わずにただの偶然で1日3本のバスを捕まえられるとは…しかもたった5分待ちで。
これはね、仕込みを疑われますよ。
もう歩きたくなかったから、ちらっとスマホで調べたんやろ?って。
でも、本当にただの偶然なんです。
三重県で現れたバスの女神が、再び我々の元に…!
これはきっと2日間頑張って歩いたご褒美だね。
バス(と言ってもワゴン車)の乗客は案の定、我々のみ。
東海道線に沿ってしばらく南下したと思ったら、急に向きを変え金谷に向けて丘陵を駆け上がります。
日本一のお茶の生産地として有名な「牧之原台地」です。
丘の上の車窓は、右も左も、前も後も、ひたすら大茶園です。
最後のバス停・ふじのくに茶の都ミュージアムでは、観光客がお待ちかね。
なんと満員御礼での運行となりました。意外!
ま、ワゴン車なんで、満員と言っても9名ですが…。
牧之原台地から、今度は金谷側へ向けて降りていきます。
そして思いがけず、この旅一番の絶景に出会いました。
金谷の街の先に、大井川と富士山。
なんと…!
ご褒美が過ぎる!!
車内には、しばし感嘆の声とスマホのシャッター音が鳴り続けていましたよ。
越すに越されぬ?大井川
金谷駅には、17時半に着きました。
さらに先に進めるバスは、あるのでしょうか。
先とは、即ち、あの大井川を越える、ということですが、果たして。
島田駅行きはありました。
でも、時間は合いませんでした。
空港から来るバスは1日1本で午前中のみ。
もうひとつ、静鉄の路線は、残念ながら平日のみの運行。
京都からの距離も開いてきていますので、帰りのことも心配しなければなりません。
この先、島田宿へはおよそ6km、日没を跨いだ1時間半の道のり。
もちろん、現代は川越人足の力を借りずとも、橋があるので自分の脚で越えて行けます。
行けなくもないですが、打ち止めとしました。
なんだか、この時点でものすごく満足感と達成感があったのです。
小夜の中山で感じた風と、菊川の里での幸運と、富士山の絶景で、お腹いっぱいでした。
越すに越されぬ大井川で、良いではないか。
川止めじゃ!川止めじゃ!!
もうね、嚙みしめたいの。
早く、帰りの電車の中で、この2日間の思い出に浸りたいんです!
旅の終わりに
実は、金谷駅でバスがないことを確かめた後、相方と二手に分かれました。
彼は金谷宿本陣跡を訪ねるために東へ、私は再びあの山上の絶景と石畳の金谷坂を見るために西へ行きました。
そして、先ほど掲載した富士山の写真を撮りました。
バスの中からは落ち着いて撮れませんでしたから。
それ以上に、建て込んだ街と天下の大井川に幾本もかかる鉄橋、近景には茶園、遠景にはきっと江戸時代から変わらない富士山という、現代の東海道を象徴する絵画的な風景を、じっくりと目の当たりにしたかったんです。
雨のち晴れ!の二日間でした。