東を見れば、西も見たくなる。
これは抑えることのできない旅人の「性」のようなもので、東海道に次いで、山陽道の旅に出ることは自然に決まりました。

いま、わが日本国の国道のトップナンバー・1号線は東海道ですが、次の2号線は言わずもがな、山陽道です。
東海道新幹線は新大阪開業を経て、当たり前のように山陽新幹線と名を変え岡山、そして本州の西端・下関を越えて博多を目指しました。
そして今や両新幹線は(在来線も)直通運転を行い、シームレスに東西を結んでいます。
このように、現代を生きる我々は、普段から東海道と山陽道を明確に意識していません。
ところが、街道歩き趣味の世界では、山陽道は東海道とは比べ物にならないくらい資料が少なく、その背景を探れば両道の性質の違いが厳然と現れます。
すなわち、東海道は江戸幕府が整備した主要五街道の一角であり、対する山陽道は無数にある脇往還の一つに過ぎない事実。
当時より街道としての整備状況は段違いで、そのまま遺構の状況も、史料の多寡も、現代における町おこしや観光素材としてのスポットライトの当たり方さえも、二つの道には大きな隔たりがあります。
明治期に鉄道が開かれる前は、人的にも物的にも山陽路は瀬戸内海路の存在感が大きく、これも西へ向かう陸路の重要性を下げる要因となりました。
さらに山陽道は、古くは奈良時代から京と大宰府、そして朝鮮や大陸との間を結ぶ幹線道として整備されてきたいきさつもあり、時代を超えていくつものルートが混在しています。
名前さえ、山陽道、西国街道、中国路と混在しており、定まらない。
東海道と比べると、随分と「掴みどころのない道」なのです。
とは言え西国の大名達に参勤が課せられていたことに変わりはなく、長州藩の有馬喜惣太が随行の折に描いた『中国行程記』は、我々のような物好きに進むべき道を示してくれます。
現在までに刊行されている多くの図書古書(近年、山陽道関連の出版物は途絶えています)も、概ね彼の地図をベースに書かれたり、現地探索されたりしており、まさに旧山陽道のバイブルです。
もう行く前から茨の道の気配がムンムン漂っていますね!
だからこそ観に行く、記録する価値もあろうかと思いますし、東海道以上に埋もれた歴史、街々の知られざるエピソードや風物に出会えるはずと、期待もしています。
それでは京都・三条大橋より山崎道経由、はるか下関・赤間関までの五十次、現代の山陽道バスの旅、気長にお付き合いください。
三条大橋→山崎宿
おはようございます。只今の時刻は7時30分。
晴天に恵まれ、絶好のバス旅日和となりました。


今回からは西を目指すわけですが、東海道編・江戸へ向けた初日は滋賀県の脱出に難儀しました。
クルマ社会のためバスの本数が少なく、また力加減も分からないため無用に動き回り、必要以上に体力を削ってしまったんですよね。
さすがに、我々も経験を積んできていますし、今日は土地勘もある関西都市圏の中。
地の利を生かし、さほど苦労もせずに進めるのではないかと、楽観ムードです。
ひとまず目標は神戸・三宮を過ぎた先の兵庫宿と定め、最初のバスへ乗り込みます。
いつものように、事前の下調べはせず、行き当たりばったり、運まかせで進んでいきます。

次の宿場町は山崎宿。
途中の宿場町をチェックポイントと見立て、必ずバスを降りて何らかの遺構を探し写真に記録していきます。
道中スマホで時刻やルートを調べるのは禁止、道路地図と窓口や運転手さんのもたらしてくれる情報など、あくまでも現地で知り得た情報だけが頼りです。
計画されていない不自由に苦しみ、味わい、楽しみを見出すのがこの旅のスタイルです。
ドMか。
1本目
京都市交通局 205 九条車庫 行き

河原町三条 7:25発→東寺道 7:53着
230円
さて、すぐに捕まりましたこの205号系統は、京都市バスの中でも最も乗客数および運行本数の多い花形路線で、市街地の外縁部を循環しています。
昔は都大路を縦横に、市電が通っていました。
市電の環状路線を引き継いで運行しているのがこうした200番台の循環系統で、系統番号の地色がオレンジになっています。

対して、環状運行をせずに、起終点をダイレクトに結んでいるのが均一系統で、系統番号の地色が水色です。
こうした色分けを行うべく、京都市バスは頑なに方向幕(昔ながらのフィルムに印刷された行先表示器)を装備してきたのですが、ここへきてフルカラーLEDへの置き換えによって急速に方向幕は数を減らしています。
見慣れたバスの風景も、刻一刻と変わっていきます。
京都駅行きと表示した205号系統は、京都駅前で9割以上の乗客を降ろします。
しかし、ここは終点ではなく、バスは私たちを含めた僅かな乗客を乗せたまま、運行拠点の九条車庫へ向けて発車します。
僅か数分の内にJR・新幹線・近鉄の高架を潜り、巨大なイオンモールKYOTOの建物を通り過ぎると、東寺道バス停へ着きます。
「東寺道」の「道」とは、京都では「●●入口」のような位置づけで、近いが真ん前ではないときに使う表現です。
他にも「銀閣寺道」とか、「太秦映画村道」といったバス停があります。
そして、どちらも別の停留所として「銀閣寺前」と「太秦映画村前」があります。
いいですね~、こういう独特な地理的表現。大好物です。
さて、江戸時代までは、西国へ旅立つときの京の玄関は「東寺口」でした。
今回も、五重塔の脇を通っていきましょうか。
東寺道から西へ向かって数分歩くと「東寺東門前」バス停へ到達しました。


バス停の接近表示機では、南へ下る18号系統が「まもなくきます」と案内されています。
至って順調、待ち時間ほぼ無しで2本目へと乗り継ぎます。
2本目
京都市交通局 特18 久我石原町 行き


東寺東門前 7:54発→小枝橋 8:10着
230円
ここから先は、久我橋の方へ向かって進んでいきます。
いかんせん地元ですので、土地勘もバス路線図も二人共の頭の中にあるんですよね。
協議では複数の案が出ることもなく、すんなりと一本の道筋が浮かび上がっています。
即ち、久我橋辺りで南2へ乗り換え、長岡京へ入り、阪急バスで山崎へと乗り継ぐ。

とは言え、京都市南端の水田地帯を行く南2系統の本数は少ないとの見立てです。
今乗っている「特」18号は、ただの18号とは異なり小枝橋を出ると久我橋方面へまっすぐ向かわず、東に大きく離れた竹田駅へ寄り道する特別な経路。

竹田駅へ行っている間に南2を逃すのは避けたいため、ここは小枝橋で降りて、歩いて久我橋たもとの「上鳥羽塔ノ森」を目指すべきでは。
題して「竹田駅スキップ作戦」、敢行です!

さあさあ始まりました、本日、そして山陽道編第1回目の徒歩連絡。
路線バスの旅なのに突然徒歩の旅になってしまうは某テレビ番組でおなじみの光景ですが、我々の旅でも同様です。
1kmない程度ですので許容範囲です。これで1本早いバスに乗れたことが後々「効いてくる」場面も多く経験しています。
そして、これを惜しんで涙をのんだ場面も…。
人事を尽くして天命を待つ、これが路線バスの旅なのです!(相変わらず大袈裟)

……とかなんとか抜かしていると??
あ、あーーー!
橋を渡っていくバスが見えるぞ!!
ぐぬぬ…作戦失敗か??
ともあれ、やって来ました「上鳥羽塔ノ森」バス停、気になる南2系統の時刻は?
只今の時刻は8時28分。
次の南2系統は8時43分。
1本前は8時11分。
はい。
多分、作戦の意味はなかったっすねー……。


川見たりお茶飲んだりして過ごしているうちに、先ほどまで乗車していた特18系統がやって来ました。
さっきの運転手さんを満面の笑みで見送ると(キモい)、負けた感が押し寄せますが、気にしない気にしない。
この作戦の意味がなかったことは、結果論に過ぎません。
人事を尽くすことこそが、路線バストラベラーである我々に課せられた命題なのです。
3本目
京都市交通局 南2系統 JR長岡京東口 行き


上鳥羽塔ノ森 8:43発→JR長岡京東口 9:08着
230円
次にやってきたバスの掲げる方向幕、系統番号の地の色は、循環系統のオレンジでも、均一系統の水色でもなく、白です(上の画像だと映ってないですが -_-; )。
この白は「調整系統」を意味しており、乗車区間によって運賃が買わる、いわゆる整理券方式です。
このため多くの京都市バスとは異なり、乗車時もICカードのタッチが必要です。

しかしまぁ、ややこしいですね。
同じ事業者でも乗り方が統一されていないなんて。
こういうルールの細かさやバラつきが、(普段乗らない人が)バスに乗るのを躊躇させてしまう面があると思います。
しかし、京都市バスの調整系統は主に先に走っていた民営バスと並走している区間でのみ採用されており、別にやりたくてやっている施策でもないのが悩ましいところです。
ちなみに、調整系統が走るのは主に市の外縁部となるため、白い系統番号のバスに乗って通学してくる生徒は田舎者としてイジられたとか。
一方、交通局や民営バスの努力でここ数年の間に調整系統は大きく減らされ、実質南区、伏見区と西京区のみとなっています。


長岡京駅、京都市バスは東口に着きましたが、メインの玄関口は西口です。
バスルートの関係で、ここまで西国街道からやや外れて進んでいましたが、この先は合流します。
この「西国街道」と言う呼び名ですが、基本的には山陽道のまたの名、という認識で間違いありません。
(細かく言えば、律令制の時代に整備された古い道を山陽道、秀吉の時代から整備され江戸期に続いた道を西国街道と呼び表すことが多い印象です。)
ただ、実際に山陽道としての起点は大阪を示す場合が多く、大阪を経由しない京都~西宮間の道筋は西国街道、あるいは山崎道(やまざきみち・「通」とも書く)と言われ定着しています。
西宮から先の山陽道も西国街道の名で通りますが、山陽道の呼称も用いられ、一様でないのが実態です。
ともあれ西国街道最初の宿・山崎宿まであと一息です。

気になるJR山崎駅前行きバスの次発は9時36分、20分ほどの待ち時間です。
しかし、共に政令市の大阪・京都に挟まれた都市近郊にあって早くも2時間に1本しかないとは。
なかなかヒヤヒヤもんです。
これ以上早く来て1本前(7時半)に乗るのは物理的に不可能ですから、ここまで正解ルートで来ていると言っても過言ではないでしょう。
気を良くしてコンビニおにぎりを頬張ります。
4本目
阪急バス 80系統 JR山崎駅 行き
※2024年9月末廃止


JR長岡京西口 9:36発→JR山崎駅 10:03着
230円
長岡京とは、知名度が低いながらも一時期都がおかれたという点では特筆すべき事であり、市名に掲げるくらいですから大事な話なのですが、いかんせん宮中の遺跡は向日市にまたがるほど市域の北端に集中しています。
よって、市南部のこの辺りの畑と住宅地が点在するのどかな風景は、都の印象とは遠いです。

バスは2時間に1本しかないわりに(しかないから?)多くの乗客を集め、マイクロバスの狭い車内は一杯になってきました。
マイクロバスで走るのには理由がありまして、府道67号線、すなわち西国街道ですがこの道が狭いのなんの。
当時のままの道幅で情緒はたっぷりですが、運転手さんにとってはスリリングでしょう。


山崎駅前の狭いロータリーに辿り着くと、淀の競馬場行きのバスがお客さんを待っていますが、この先高槻方面へ県境を越えていくバスは無し。
ま、ここは想定内でして、大人しく歩きはじめます。
ここから目指すポイントは2つ、1つは阪急上牧駅、もう1つは西国街道沿いの梶尾東、ここまで高槻市側のバスが来ている模様です。
せっかくなので、西国街道を歩いていきましょう!
さて、のっけからこういうことを言うのも妙ですが、山陽道の宿場の数には東海道「五十三次」のような明瞭な定義や共通の了解、正解はないと思っています。
だから、この1.から始まる数字が最後50になる予定ですが、それは数え方によっては51、52、はたまた49にもなってしまいます。
ある一時点を切り取れば「その場所が宿駅としての役割を担っていた」と断定することはできると思いますが、その一時点をいつにするのか、なぜそうするのか、そういうことを考え始めるときりがないからです。
文献によっては、そこが間宿(あいのしゅく・主に休憩用の茶屋があるだけで宿泊は認められない)とされていたり、本陣があって大名が泊まっていたり、廃れたりと、さまざまに揺れています。
ともあれ、我々の旅の趣旨は歴史を掘り起こすことでも、正しさを問うものでもなく、街道に沿って楽しくバスを乗り継ぐことなので、この正確性は街道趣味者の先達に譲りたいと思います。
