第4回 赤坂宿→舞阪宿 路線バスの旅【後編】2022年5月13日

前半までのあらすじ

本宿駅を8時前に発ち、7時間。
15時時点で白須賀宿から新居宿を目指しています。遅っ!!

白須賀宿→新居宿は、まっすぐ行けば8kmほどの道のりです。
しかし、東海道沿いはバスが繋がっていないため、新所原~鷲津と、大きく迂回して進みます。

湖西病院を訪ねて

さて、この時間の南口バスロータリーには、コーちゃんバスとともに企業の送迎バスが控えています。

豊橋市東部と湖西市のあたりは、東海道沿いで交通の便が良く、また広大な土地が確保できることから、工場が多く立地しています。
当然、多くの従業員を抱え、彼らの通勤を支える足が必要になりますが、駅と点在する工場の間を直接結ぶことから、地元住民の生活流動とは一致せず、各企業は自家用の送迎バスを走らせています。

ところが、送迎バスも通勤時間帯を過ぎれば仕事はなく、車両も運転手も持て余します。
そこで、クルマ社会で昔から公共交通が貧弱な湖西市は、通勤ピーク時間帯以外の工場送迎バスを活用し、乗り合いバスとして走らせてもらうという取り組みをしています。

湖西市ホームページより

今回見かけた送迎バスが、このBaaS車両にあたるのかはわかりませんが、土地ならではのアイデアで公共交通を残そう、充実させようという動きがあるのは素晴らしいことと思います。
うまく定着していくと良いのですが。

41本目
湖西市コ―ちゃんバス 岡崎鷲津線 湖西病院 行き

白須賀行きのバスより一回り小さい

新所原駅南口15:27発→湖西病院16:07着
0円(乗り継ぎ券利用)

我々以外乗客なしのまま発車

新所原から先の路線は、JR鷲津駅を経由して終点・湖西病院へ向かいます。
湖西病院は、コーちゃんバス運行上のハブで、市内全域からのバス路線が集まってきます。
鉄道駅よりも病院の方がターミナルとしての存在感があるのは、コミュニティバスならではです。

今回乗車した「岡崎鷲津線」は、病院・公共施設巡回バスと言った様子で、病院と公園、役所や福祉センターなど行政施設を冠した停留所ばかりが続きます。

新所原医院
浜名病院
アメニティプラザ
おぼと(福祉センター)

鷲津が近づくにつれて乗客は増え、最後は座席がほぼ埋まるほどになりました。
外は相変わらず雨が降り続けています。

鷲津駅 他路線ではハイエースも活躍
実はPayPayが使えるコーちゃんバス

直線距離なら、新所原→湖西病院は6km程度ながら、岡崎鷲津線は途中の施設でほとんど玄関先、車寄せまで入るため、たっぷり40分もかかりました。
夕方の時間帯は眠くなることが多いのですが、当路線はあまりにも執拗に寄り道をするので、うんざりするのを通り越えて面白くなってしまい、眠気が勝つことはありませんでした。

湖西病院に到着

さて、病院に着いたは良いものの、特に用事はありません。
45分間の乗り換え待ち。雨も降っているし、コンビニに行くのも億劫で、地図とバスを眺めて過ごしました。

中型のバスも来ました
立派なコーちゃんバス

夕方だからか、バスは割と短い間隔でやってきます。
先ほど訪問した白須賀行きも来ました。白須賀発の便は14時台で終わりなのに、湖西病院(鷲津)からは15時台、16時台と続けてあります。白須賀からは回送でしょうか。
なんだか勿体ないような…仕方ないような。

42本目
湖西市コ―ちゃんバス 新居鷲津線 新居町駅 行き

湖西病院16:51発→新居関所前17:02着
0円(乗り継ぎ券利用)

コーちゃんバスには乗り継ぎ券制度があり、券1枚で2回も乗り継げる
ムード満点・関所バス停

バス空白地帯、再び

新居町駅へ向かう最後のコーちゃんバスは、寄り道もほとんどなく、国道301号線を淡々と走り、あっという間に新居関所へ到着しました。

関所の建物

ここ新居関所は、日本で唯一現存する現役当時の関所の建物。
とはいえ、さすがに開設当初のものではなく、地震で壊れ、安政5(1858)年に再建されたものなのだそう。って、帰ってから調べてるんですが。
資料館は16時30分まででしたので、間に合いませんでした。

それにしても、関所の裏を猛スピードで駆け抜けていく新幹線がシュールやわ…。
もし当時の役人さんたちと話せたとしても、たった1秒で1300人が過ぎ去ってゆくって、絶対信じてくれないでしょうね。

新幹線…
大御門(復元)
31.新居宿

本陣3軒、旅籠26軒、人口3,474人。
関所が有名だが、地元では競艇場のイメージです。

東海道新幹線で通りかかるときも、新居付近は浜名湖を渡る鉄橋があり、有名車窓スポットです。

新居の地名は、荒々しい遠州灘の波濤からきており、荒井とも書かれます。

新居宿→舞阪宿

さて、新居町駅から先は、遠鉄バスになると予想していましたが、バス停がありません。
もう、跡形もない、といった具合です。
どうやらこれは、廃線になったということでしょうか。え?また??

路面には「バス」 しかし停留所のポールだけがない
JR東海バス新居町営業所跡

コーちゃんバスの路線図にも、遠鉄の路線が全く乗っていなかったので、嫌な予感はしていたものの、やはり現実なのか。
ならば、歩くしかないですね。……。
しかし、既に17時を回っています。
本日泊めてもらう浜松の実家に頼んでいた迎車の時間(JR舞阪駅18時30分)に間に合いません。

むむむ…こうなったら、「今切の渡し」カードを発動しますか。
浜名湖が海とつながっているこの区間は橋がなく、往年の旅人は渡船に乗るのが通常。
要は歩いていないので、やむなし!!
一応、地元にいた頃には、何度も通った道ですし、今度、改めて歩きなおすということにして、今日のところは鉄道ワープさせていただきます!

ひと駅、3kmほどをたったの2分で結びます。
歩くと40分はかかりますので、鉄道の威力はすさまじい。

浜名湖を渡る
現代の今切れの渡し

前回の本宿あたりで、あれほど葛藤した鉄道カードをあっさり切ってしまうのは、なんだか情けないところです。

しかし、この日は夕方以降は一段と大雨になる予報であったこと、実家に厄介になるのに大幅に約束の時間を超過するのも気が引けるなど、いろいろと事情がございましたので、勘弁してください。

あっという間に弁天島駅に着き、駅頭を探しますが、なおもバス停は見当たりません。

浜名湖を渡る

舞阪宿手前で、今切口を臨みます。
右奥バイパスの一番高くなっている橋の下が、浜名湖と遠州灘(太平洋)がつながっているところです。
ここは1498年の明応地震と高潮によって砂州が決壊したことにより開いた水路で、たった300m程度の幅ですが、そのために65 平方キロメートルの浜名湖は汽水湖(海水と淡水が入り混じる湖)となっています。

家康はこの地が交通の要衝となることを熟知しており、目ざとく関所を設けました。
関所の名は正式には「今切関所」と言い、新居関所は通称です。

北雁木(今切渡しの船着場跡)
津波避難タワーがそびえる
30.舞坂宿

本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠28軒、人口2,475人。
今切の渡しを控え、当時は良くにぎわったそうです。

渡し船の乗り場のことを「雁木(がんぎ・がんげ)」と言いますが、舞坂では北雁木、本雁木、南雁木とあって、それぞれ大名や役人用、庶民用、荷物用と分かれていたようです。

今切口ができた際の津波の威力は凄まじく、多くの犠牲者を伴ったことでしょう。一方で、その地形の変化によって、舞坂には宿場としての繁栄がもたらされました。
自然災害と人の営みの関係を考えさせられる地でもあります。

東海道中、唯一残る脇本陣遺構・茗荷屋

舞阪宿→浜松宿

往年は大層栄えた舞坂宿、と言うことですが、現在は残念ながら公共交通空白地帯。
遠鉄バスが廃止された後、コミュニティバスなどの代替路線は用意されていません。
したがって本日のゴール・舞阪駅までは歩いていくしかないのですが、舞阪駅自体は浜松市馬郡町と、かなり離れたところにあります。

舞阪町内の人は、場所によっては弁天島駅が最寄りになりますが、どちらに向かうにしても1km以上あります。とはいえ、その程度の距離で電車に乗れるなら、恵まれているとも言えるでしょうか。

特産のシラスや海苔を売る商店が点在
松並木が見えてきました

舞阪駅到達の手前、県道49号線に入ると立派な松並木が現れます。
石碑によると、正徳2年(1712年)の記録では1,420本であったところ、寿命や台風被害にあり減る中、都度捕植し続け守ってきた景観で、現在は約330本となっています。

御油の松並木も立派でしたが、ここは昭和13年の国道付け替えの際、歩道を付けるなどして再整備されたため、直線で整然と並んでおり、同じ松並木でありながら、印象が異なります。

ちょうど松並木を抜けたところに「馬郡」バス停があり、新居町駅からおよそ6kmにわたるバス空白地帯を抜けました。

明日の始発便をチェック
松並木を行く遠鉄バス

時刻は18時20分。
目標の浜松には僅かに届きませんでしたが、お迎えの時間にはなんとか間に合いましたので、本日はここでフィニッシュ。
ちなみに、手元のガーミンによりますと、歩数はほぼ3万歩、歩行距離は25km以上に及びました。

時間的にはまだまだ先へ進めそうですが、明日に向けて実家で体力回復に努めることとします。

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