2日目-中編 四日市宿→桑名宿 東海道路線バスの旅(2022年1月8日)

前編(関宿→四日市宿)はこちらから

四日市宿→桑名宿

東海道沿いにまっすぐつながらない区間。
思えば、前回も午前中の好調ぶりが午後から暗転、石部から先が全然つながらずに苦労しました。
今回はどうなるのでしょう?

四日市→桑名

不安を抱えながらも、ひとまず、昔の記憶を頼りに「山城駅」を目指して進みます。

四日市駅→伊坂台

久々に三重交通ではないバス「三岐鉄道バス」に乗ります。

三岐鉄道と言えば、近鉄富田~東藤原間の「三岐線」と、西桑名~阿下喜間の「北勢線」を運行する事業者で、三岐線は三重から岐阜を目指したセメント運搬鉄道、北勢線は近鉄の撤退を機に譲受したナローゲージ(軽便鉄道規格)のミニ鉄道という、非常に癖の強いラインナップ。

そんな三岐鉄道が運営するバス部門において、山之一色線は本線格。
日中概ね60分間隔で四日市市街と三岐線の山城駅を40分ほどかけて結んでいます。

バスは途中、○○台と名の付く団地をいくつも巡るため、執拗に右左折を繰り返し、方向感覚が失われます。
冬の午後の柔らかな日差しの中、私鉄駅のバスターミナルからロードサイトの看板が立ち並ぶ郊外、そして緑したたる周縁部へ。幾多の川を越え、丘を越えてのショートトリップ。

私自身、長年いろんなところを訪ねていますし、バスにもたくさん乗ってきましたが、この「山之一色線」、三岐鉄道の運営する鉄路群とは打って変わってごく平凡、典型的な現代日本の郊外を走るバス路線としての要素、沿線風景や地理的条件を見事に備えています。

昭和末期に生まれ育った世代には、どこか懐かしく、安心感のある光景。
「となりのトトロ」のような、画に描いたような古き良き田舎(故郷)がない中年以下の世代、私を含め、郊外の団地やニュータウンで育った人々にとっては、こんな景色こそが、幼少期を過ごした「ふるさとの原風景」なのではないでしょうか。

適度な乗降もあって寂しくもなく、特筆すべき絶景はないが高低差もあり、車窓は終始変化に富んでいる。
乗車時間も40分と、長くはなく、短くもなく。
終点に向かうにつれて、徐々に鈴鹿山脈が迫ってくるのとか、もう、何もかもが適度。
落ち着いた曲調の佳作が続く、珠玉のアルバムを聴いているかの如く。

このバスにゆったりと身を委ねている時間には「ローカル路線バスの旅の良さが全て詰まっている」と言っても過言ではないと思います。
将来も、ずっと、走っていてほしい。

さて、バスは終点の山城駅に到着。
駅前には、小さなバス(日野のポンチョ、と言う車種です)が横付けされています。

「伊坂台は通りますか?」
「通りますよ」
「何分発ですか?」
「もうすぐ出ます」

と言うわけで、時刻表を見る間もなく、次のバスは出発。
乗り継ぎの心配をする暇さえありませんでした。

運転手さんに、伊坂台から桑名行きに乗り継げるか聞くと「確かに、来てるのは見ますね!」とのこと。
「伊坂台アクセス前」というバス停で降りれば良いらしい。

このバスは、山之一色線とはまた違って、すごいところを走ります。
まるで「秘境バス旅」といった様相。これでも一応、上京中なのです。

バスは終始狭い道を縫うように走り、森を抜け、集落を抜け、新名神と伊勢湾岸道、東名阪道がクロスする「四日市ジャンクション」の足元を潜り抜けると、伊坂台に躍り出ます。

「伊坂台アクセス前」で降りようとしたちょうどその時、
「あ、うしろから桑名行き来てます!」と運転手氏。

前代未聞の乗り継ぎ、即座に桑名行きに接続。
こんなことが起きるのか…。

伊坂台→桑名駅

伊坂台からの車内は、西高の女子生徒ばかりで乗車率90%超え。
立客もいるほどの盛況ぶり。もちろん私も座れません。
年始から通学ご苦労様です。来週が大学入試共通テストだものね。

バスは相変わらず狭い道を行きます

大勢乗っていた高校生も、近鉄の「益生駅」でほとんどが下車。
空いた車内で終点の桑名駅へ到着。

結局、12時半に四日市を発ち、わずか1時間半、14時前には桑名に着いてしまいました。
この区間は、地図を見ても難関となることが予想されただけに、あまりのスムーズさに拍子抜けしてしまいました。

それでは、ここだけ「八風(はっぷう)バス」であることの謎について。
車体を見れば明らかに「三重交通カラー」であることから、今は三重交通グループに属す会社です。

伊坂台からのバスが通った八風街道・現国道422号線に、初めてバスが走ったのは昭和30年代のことでした。
当時の運行事業者が、今に続く「八風バス株式会社」です。

八風バスは、近鉄や名鉄などの親会社による後ろ盾もなく、地元の商店や工場などの企業と沿線の村々が出資し、出資企業の経営者たちが役員となって設立した「おらが村のバス会社」。
当時不便だった員弁川南岸の村々と桑名市街を直結する沿線の悲願でした。

その後、名鉄傘下を経て近鉄系の三重交通の100%子会社へと紆余曲折を経ながら、今日に至ります。
2000年代初頭、電鉄会社の経営合理化のため、郊外の営業所が次々に分社化されましたが、八風バスはそういう出自とは一線を画す「由緒正しきバス事業者」なのでありました。

何気なく通っているバス路線には、地域の歴史が詰まっています。

桑名駅→桑名宿

桑名駅から桑名宿へは、少々距離があります。
できればバスに乗りたいが、最寄りの田町へ向かうバスは「長島温泉」行き。

長島温泉と言えば、長島スパーランド(通称ナガスパ)に代表される、中部圏の一大レジャースポット。
絶叫マシンの聖地で「東の富士急、西のナガシマ」とも称される。
バスの本数も堂々の20分間隔(土日ダイヤ)で、京都からここまでで最高頻度。

それでは、この先のルートを検討します。
まずは案内所でもらった路線図を確認(帰宅後にスキャン)。

桑名駅からの路線図-1

んん?

桑名駅からの路線図-2

んんん???

またしても、東海道方面がないですね。
まぁ、東海道は、桑名宿から「七里の渡し」、つまり海上に出るわけですから、仕方ないか…。

…というわけにも、参りません。

現代に渡し舟はないので、桑名宿から宮宿間もバスで繋ぐ必要がありますが、国道1号から長島方面も、国道23号から飛島方面へも「無い」とのこと。

まぁ、ここまでは、過去に見た「ローカル路線バス乗り継ぎの旅Z」の放送の記憶から「想定内」です。

桑名→名古屋

ここから唯一、桑名市域を脱出できそうなのは、長島温泉行き。
しかし、終点の長島温泉から名古屋へは、伊勢湾岸道経由の高速バスのみとのことです。

伊坂台を訪れた15年前は、長島温泉から国道23号経由(下の黒点線で一応、一般道)名古屋行きに乗ったのですが…。

ただ、事前に目を凝らしてみていた手元の道路地図「県別マップル」や、バス停が載ってるWEB地図「マピオン」によると、木曽川を渡った先の木曽岬町内には、コミュニティバスが走っていそうな気配があります。

木曽岬町周辺

そこで進路を一旦、途中徒歩を挟みつつも木曽岬町「上松永」へ定めました。
「上松永」でうまく乗り継げなかった場合は、「伊曽島」まで戻って長島町内を「長島駅」へ北上、そこから弥富へ東進する作戦です。

桑名→名古屋

しかし、僅か10分ほどの間に判断すべきことが多すぎる!
待ち時間は長すぎると辛いけれど、短すぎるのも辛い。
贅沢言っちゃいられませんけどね。

田町バス停へは、わずか4分ほどで到着。
次のバスは20分後ですから、足早に桑名宿へ向かいます。

事前に思い描いていた本日の旅の目標は「桑名(で焼き蛤を食べる)」。
しかし現実には、朝からの快進撃が続き時刻はまだ15時前。
ここまで来たら、なんとか名古屋まで辿り着きたい!

42.桑名宿

本陣2、脇本陣4、旅籠120

七里の渡しを控え、旧東海道の宿場町の中でも、随一の規模であった。

渡し跡には今も「伊勢神宮一の鳥居」がそびえており、海路の時代には、ここが伊勢の国の入口であることを旅人に告げる役割を担っていた。

後編へ続く

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