第3回-後編 鳴海宿→藤川宿 東海道路線バスの旅(2022年3月13日)

前半までのあらすじ

金山駅を7時30分のバスで出発し、3時間半。
宮宿、鳴海宿を経由し、11時過ぎに名鉄前後駅に到着しました。

ここから先は、名鉄バスで「祐福寺」まで向かえば、知立行のバスに乗り換えができるとの情報を得ています。しかし、次の祐福寺方面行は50分待ち。
本日の目標、赤坂・御油に対し、決して進捗が良いとは言えませんので、より早く先に進めるルートはないか?地図とにらめっこ中です。

前後駅、鉄道は下を通っているのでバスターミナルは解放感がある
吉池団地行き

鳴海宿→池鯉鮒宿(前後駅→知立駅)

ちなみに、バス停には5分後に出る吉池団地行きが待機中。
50分待つくらいなら、このバスに乗り、なるべく尾張・三河国境の境川に近い場所で降り、歩いて対岸の県道を走るバス停「西境」へ向かう作戦を立てました。

西境からなら、祐福寺からよりも知立行バスの本数が多いかもしれません。
バスだけで繋がる区間ではありますが、天候も良く、少しでもじたばたしておきたい!との思いが勝ちました。

吉池郵便局で下車し、境川を越えるあたりまで来ると、名古屋市街の建て込んだ風景とは打って変わって、完全に郊外です。
田んぼの中を歩きながら、真夏は過酷やろうなぁ…と、少し先の心配をします。
まず目先のバスが繋がるかも、全然わからないんですが。

尾張・三河国境の境川
コミュニティバス発見
時間も方角も合わず、徒歩区間の短縮ならず
コミュニティバス「らしくない」刈谷市コミュニティバス

刈谷市のコミュニティバスは、方向が合わず乗車はしませんでしたが、よくあるハイエースやマイクロではなく、立派な中型バス車両でした。
土日を含めた毎日運行で、運賃はなんと無料!らしく、工業地帯に立地する自治体の財政力を見せつけられます。
刈谷市は自動車の電装部品大手・デンソーのおひざ元です。

観覧車がランドマークになっている伊勢湾岸道「刈谷ハイウェイオアシス」の脇を通って知立駅へ向かいます。
しかし、市域・町域に縛られぶつ切りになりがちなコミュニティバスに比べると、そんな見えない壁は無きものとして複数の自治体を自在に貫通する名鉄バス路線のありがたさを実感します。
この日は、幾度も名鉄バスの頼もしさに助けられ、救われました。
ありがとう名鉄バス。大好きです名鉄バス(バスは全部好きですが)。

知立駅に到着
高架化工事の槌音が響くバス乗り場

名鉄知立駅は、目下高架化工事中です。本線と三河線が交差するのを持ち上げる…京急の蒲田や阪急の淡路(工事中)のようになるんでしょうか。
高架の駅がさらに二階建てになっているため、橋脚一つでさえその辺のビルを優に超える高さで壮大です。こりゃ時間かかるだろうな。

39.池鯉鮒宿

本陣1件、脇本陣1件、旅籠35件、人口1620人。

馬や木綿の大きな市が立ち、栄えた土地。
今回立ち寄れなかったが、無量寿寺のかきつばたが有名。在原業平が詠んだ和歌が発端となり、歌人や画家など多くの見物人が訪れたことから、旧東海道沿いには寺の方角を示す古い道標が立っている。現代においても、かきつばたの名所は健在。見頃は5月。

池鯉鮒宿→岡崎宿

無事チェックポイントには着きましたが、正直、ここから先が見えていません。
頼みの綱・名鉄バスの路線も、ここ知立で途絶えます。
コミュニティバスをこまめに乗り継いでいくしかなさそうです。

ひとまず、駅頭掲出の路線図から、安城方面へ一番近づけそうな知立市ミニバス・イエローコースへ狙いを定めました。
市域の東端「知立団地高根」からは歩いて安城市入り。
最寄りのバス停「住吉」からは、新安城方面へつながるバスが出ていると良いのですが。
イエローコース次便までの待ち時間も短く良い感じです。昼食摂れないけど。
名物・あんまきで空腹を凌ぎます。

やはり、愛知県内の自治体は潤っているからか、バスの設備が豪華な気がします。
とはいえ、本数は決して多くはなく、乗り継ぎは綱渡りになってきました。

イエローコースは、ひと気のない閉庁日の市役所や福祉センターへの寄り道を繰り返しながら、じわじわと東進します。
市域を跨がず知立駅へ戻るコースのため、なるべく安城に近いバス停で降りて、歩きはじめます。

団地の脇で降りて
住宅地を抜けて

家並みが途切れると、突如視界が広がり、名鉄電車が走り抜ける音がします。
汗ばむような気温ですが、実に良い天気です。

農道を歩いて市境を跨ぎますが、ふと思うんですよね。ここはどこやねん!と。
我々は「東京へ行く」というただそれだけのために、一体全体、何をやっているんだろうか?と。
相方と、そのことを伝えあって、ゲラゲラ笑って、また歩く。
うん、なんかもうええ年したおっさんなのに、青春って感じ!

そのまま歩いて安城市内に入り、現在時刻は13時半。
安城も、バス路線の主役はコミュニティバス「あんくるバス」です。知立市側から歩いてくると最寄りは住吉バス停ですが、ターミナルであるJR安城駅行きの時刻までは少し待ちます。
この展開は毎回悩みます。市街地なので、もう少し歩けば、別の路線がありそう。しかし、昼食も摂れていないのだから、昼休憩でもいい気がする。

「あんくるバス」住吉バス停
マキタ本社の前を通ります

悩みましたが、目標の赤坂・御油宿到達を考えるとやはり少し遅い。
ここは、進むことを決断しました。

知立団地から2km以上歩き、名鉄バスの今池町まで来ました。
JR安城駅方面へつながるようですが、岡崎方面への情報はありません。
もう少し頑張って、新安城駅へ向かってみることに。案内所があるかもしれません。

あんくるバス 7番系統 作野線
名鉄バス 83系統

新安城駅からは、あんくるバスと名鉄バスが共にJR安城駅を目指します。
路線番号を大書するあんくるバスのデザインは、なかなか思い切りが良いですね。

名鉄バスの行き先「デンパーク」は、農業新進国のデンマークにちなみ、日本のデンマークを標榜した安城市を象徴する公園です。
安城近辺は、社会科でも習う「明治用水」で開墾された農業先進地。1920~30年代は本当に「日本デンマーク」と呼ばれていたそうです。
デンパークは、植物園や道の駅、室内遊園地が併設された、小さい子のいる親としては興味津々なスポットながら、立ち寄る暇はありません。

案内所はありませんでしたが、折り返し街の名鉄バスの運転手さんから、JR安城から東岡崎まで繋がること、JR安城からは毎時30分発で、名鉄バスなら間に合うが、あんくるバスだと接続できないなど、有力な情報を教えていただけました。
むむむ、住吉で昼食休憩にしたら、岡崎到着が1時間押しだったのか。ああ恐ろしい。

14時25分、JR安城駅に到着。無事、教えてもらったバスに乗り継げそうです。

車内は空いている
水田地帯を行く

正直、安城→岡崎も、知立→安城のような細かな徒歩や乗り継ぎを強いられると思っていたので、ここでも異なる市域を貫通する名鉄バスに助けられました。

さて、我々は知立からずっと名鉄線の南方を進んでいます。
旧東海道は線路の北側を通っていますので、沿線風景から旧街道の風情は感じられませんでした。
しかし「矢作口」バス停からは久々に国道一号線を走行します。

矢作橋

午前中、あの細い境川が越えられなかったのに(いや、待てなかっただけですが)、大河・矢作川を悠々、バスで渡っています。素晴らしいぞ名鉄バス。

なお、この矢作橋は江戸期から架橋されており、当時は日本最長の橋だったようです。広重の浮世絵にも描かれました。
「五万石でも岡崎様は、お城下まで船が着く」家康生誕地の岡崎藩は別格の扱いで、こんな内陸なのに水運が栄えたことも、渡しでなく架橋となった要因かもしれません。

38.岡崎宿

本陣3件、脇本陣3件、旅籠112件、人口6,494人。

江戸時代になると岡崎城は神君出生の城といわれ、石高は5万石と少ないながらも、代々譜代大名が治めた。
城下町を通る東海道は「二十七曲り」となっており、執拗なまでのクランクは今は観光上の名物として丁寧に案内看板が立ててあり、気軽にたどることができる。

岡崎は西三河の中心都市で人口40万人弱の中核市。愛知県内では、名古屋、豊田に次いで第三位。
おかざきの読みは、女子スケートの選手の岡崎選手がそう呼ばれていたように「か」にアクセントが来るそれとは違い、川崎重工のかわさきと同じように平板に発音します。
岡崎城は若き家康の出身地であり、信長が桶狭間で今川氏を退けた後の拠点であり、これら超有名武将の名前が出てくるだけで東海地方を旅している実感が湧いてくるというものです。

またまた都会に来た印象
岡崎は自治体バスがなくて全て名鉄バス

で、またまた、少ない待ち時間で藤川宿方面・美合駅へつながっています。
無いより良いんですが、岡崎城を眺めることも、未だ昼飯にありつくことも叶わず…。

岡崎宿→藤川宿

ひとまずおやつだけで頑張ります。先を急げ!

ただ、ここで、雲行きが怪しくなってきます。
乗り継ぎの先行きだけでなく、空模様そのものも!
もともとこの日は雨予報が晴天に変わったのですが、寒気が入ること自体は変わっていないんですよね。

黒い雲に追われながら、良くないことに国道248号線は渋滞気味です。
しかし、できることは何もありません。ただ、雨が降らないことを祈りながら、体を休めます。

美合から先について。
東海道は藤川宿、本宿、赤坂宿と繋いでくことになりますが、地形的には両側から山が迫っており、国道1号と名鉄本線、本宿からは東名高速もギュっと集まっています。
そして、なんというか…明らかにマップル上からはバス路線を示す赤い点線が消失しています。
正確に言うと、藤川を迂回し、ひと山超えた南側、羽栗を経由してを本宿までは繋がっている。あるいは、北側にも、額田を介して本宿までは辿れます。

しかし、藤川宿の周りは何もない。そりゃそうですよ、名鉄に乗ればいいんだから。
そして、本宿を出ると、東海道沿い以外の別ルートは一切見いだせない。
つまり、ここから先は、どう考えても歩かざるを得ない。

我々は、藤川宿の攻略法として、下記を思い描きました。
・東海道沿いをおとなしく美合~藤川~本宿と徒歩で進む。
・南ルートをバスで山中駅へ抜け、藤川まで徒歩で往復して本宿へ進む。徒歩距離最少。
・藤川まで往復して美合へ戻り、北ルートで本宿へ抜ける。

いずれにしても、美合駅で結果は出ます。
雲行きは、相変わらず、怪しい。不安が募ります。

数キロ先はもう雨が降っている様子です
美合駅に到着

中伝馬からおよそ1時間、単純に遠回りの経路に加え、途中渋滞もあってエラい時間がかかりましたが、なんとか美合駅に到着です。
そして、厳しい現実を突きつけられます。

羽栗経由本宿行は既に最終が出た後(1日3本!)。ここから額田へは直行無し。
したがって、強制的におとなしく歩くルートになります。名鉄バスの威光も(乗車も)ここまでです。
また、おそらく、今しがた降りたバスが、本日の最終乗車バスとなりそうです。

ともあれ、待っていても東海道は進めません。
歩く以外に道はありませんので、全くもってゴールが定まらない中、歩みはじめます。

線路沿いを進みます
旧東海道が見えてきました

名鉄の切通の脇を上り、小さな峠を越えると旧東海道に合流します。
藤川宿には松並木が残り、旧街道の風情が感じられます。
しかし、国道1号と完全に並行するこの旧道は、道幅が狭いにも関わらず自家用車が多く通り、石部宿付近のように決して歩きやすい道のりとは言えません。

松と電車
藤川の松並木は県指定文化財
37.藤川宿

本陣1件、脇本陣1件、旅籠36件、人口1,213人。

国道1号のバイパスや名鉄の線路の南側に旧道と松並木が残っており、往時の風情を今に伝える宿場跡。
本陣の建物はないが、立派な石垣が残っており、名鉄電車の車窓からも見ることができる。

藤川という地名だけを聞くと、どことなく藤の花の鮮やかな紫色のイメージが思い浮かびます。
ただ、当地では著名な藤棚があるわけではなく、沿道の花壇では「むらさき麦」がPRされています。
むらさき麦は古来この地で染料として使われた植物で、地元有志の努力で30年近く前に復活させ、地域の商店主らが商品開発などに取り組んでいるようです。

芭蕉が当地を訪れた際「ここも三河 むらさき麦の かきつばた」の句を残し、十王堂の庭に句碑があります(芭蕉が詠んだ「かきつばた」は、先に紹介した知立・無量寿寺のそれを指しているのでしょう)。
毎年5月上旬になると、本陣石垣跡の横や東俸鼻付近の畑で、紫色の穂が首(こうべ)を垂れる様子が見られるようです。

むらさき麦の麦畑
藤川宿から赤坂宿方面を臨む

藤川宿→赤坂宿

さて、この旅のはじめに、どうしてもバスがない時は、鉄道を使えるというレギュレーションで始めましたが、ここへきてその発動要件を満たしたようです。

・路線が無かったり、次発までの待ち時間が100分を超える場合、最寄駅から鉄道利用可
・鉄道は、1乗車300円までの範囲内で、かつ午前/午後にそれぞれ1度限り

ところが、どうにもこれが「負けた」感じがして、使いたくない。
足の疲労や、現在時刻、次回のアプローチを考えると、どう考えても列車に乗った方が良く、実際乗りたいのに、めちゃくちゃ乗りたくない。
うあーーーー、この葛藤!とりあえず、ずるずると歩かされています。ひとまず、本宿を目指します。

広重の「藤川宿」に描かれた俸鼻
住宅地の中を抜ける(旧)東海道
名鉄の舞木検査場
日本橋まで318km

山中駅が近づき、美合・羽栗方面からの路線が合流する地点を過ぎてもバスの本数は変わらず15時台で終わり。時雨模様で、冷え込んできました。

名残松

美合を出ておよそ90分、本宿駅に到達しました。
ここから先も、東へ向かうバスはありません。
当初目標の国府駅までの道のりで見れば、本宿は中間地点。辺りはすっかり夜の闇に包まれました。

本宿(もとじゅく)は、藤川宿と赤坂宿の間(あい)の宿で、現在は山あいの盆地に広がる人口4,000名ほどの街です。名鉄本線の本宿駅は2面4線の大きな高架駅で急行が停まり、東名高速からもよく見えます。地形的に藤川のあたりの谷地を挟んで岡崎市街とは隔絶されており、昭和30年代に編入される前は本宿村でした。
法蔵寺の門前町でもあり、ここは幼い頃の家康が手習いを行った場所と言い伝えられています。
そんな本宿。

この「流線形バス」というのが興味をそそります

今回も宿場でのゴールとはなりませんでしたが、間の宿で足止めというシチュエーションは、江戸期でもままあったでしょうから、良しとしましょう。
次回バス旅は、この旅初の徒歩スタートです!

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