5日目-中編 袋井宿→掛川宿 東海道路線バスの旅(2022年5月14日)

前半までのあらすじ

舞阪宿に近い馬郡バス停から出発して4時間半以上が経過し、袋井駅に着きました。
見付の手前、磐田駅には8時半前に着いたのに、現在の時刻は11時過ぎ。
思いがけず、苦しい展開です。

袋井駅から掛川方面へ向かうバスは、全て土日運休のため進路に窮し、東海道から大きく外れて遠州灘方面を目指します。
題して「史上最大のV字作戦」だ!!

47本目
秋葉バスサービス 秋葉中遠線 大東支所 行き

終点・大東支所で撮影

袋井駅南口11:23発→大東支所12:02着
800円

大東支所行は、先ほどと同じバスでした。
バス同様、同じ運転手氏へ「掛川へつながるか?」と尋ねると「時間は分からんが、ある」と心強い?返答。

乗客は我々のみ
前所属事業者の特徴的なフォント

漠とした不安は微かな希望に変わり、しばし長距離ローカルバスの旅に突入です。
乗客は、我々しかおりません。

ちなみに、中遠方面へ向かうバスの大半は途中の横須賀止まりで、大東行きは2時間に1本しかありません。
着いたタイミングが良かったけれど、少し掛け違えていたら大変でした。
逆に、磐田で犯したミスによるタイムロスは、ここで吸収されました。

ちょっとしたロスが積み重なってとんでもないことになるときもあれば、造作もない場面もある。
時々で感じた悔しさも嬉しさも、振り返れば意味があったりなかったり。
つくづく、難しい旅です。

車窓には、のどかな田園風景が続きます。
この辺り、沿線にはかつて長大な軽便鉄道「駿遠線」が走っていました。
静鉄系列・秋葉バスの秋葉中遠線はその廃止代替の使命も持つ…って、この路線の普段の乗客の皆様がそんなことを知っているかは全くもって謎です。

ちなみに、袋井駅の北口は「秋葉口」、南口は「駿遠口」と名がついており、駿遠線の思い出が刻まれています。

掛川大須賀線!?
静鉄横須賀売札所

横須賀車庫にはたくさんの秋葉バス車両が昼寝しています。
付近の車窓を凝視していると、狙い通り掛川行きバスの標識を発見!
しかし、窓越しに時刻表を見る限り、朝のみの運行の様子で、今からは乗り換え不可です。

ということで、なし崩し的に、このまま大東まで移動することになりました。
横須賀から先の便は激減しますので、いよいよリカバリ不能な領域になってきます。
仮にこの先が繋がらず袋井まで戻っても、袋井から先に進む方法は徒歩だけ。
せいぜい夕方に掛川到達が良いところでしょうか。一日かけて浜松~掛川だけかー!

ひたすら続く田園地帯
茶畑も登場

さて、V字作戦の下の点、大東へ入りました。
間もなく役場というところで、静鉄バスの標識を発見。期待して良いのでしょうか。
あるいは、この先まっすぐに浜岡、御前崎へ進めるだけでしょうか。

一度に払う運賃800円は、これまでの道中で最高額
静鉄バスの標柱

終点の大東支所へ到着。
気になる掛川行きの路線は、そして時刻は…

あった!

見事、V字決まりました!!
それも、45分間隔で続々とやってくる!
うわ、これ!
きもちいいーーーーー!!

(いや、続々と、という間隔でもないのかもしれないが、今の我々にはそう見える)

安堵して袋井へ戻るバスを見送る

一瞬、歓喜の渦に包まれましたが、昼どきのバス停は静寂そのもの。
次のバスまで、およそ30分の待ち時間があります。
ひとまず掛川行は決まりましたが、相変わらず先のことは分からないため、コンビニでおにぎりなどの行動食をゲットしておきます。

威容を誇る大東支所(旧大東町役場)
しかし横から見るとややハリボテ感が否めない

さて、待ち時間ついでに、ここまで運んでくれた秋葉バスの「秋葉」とは何なのか、と言う話を。

秋葉バス、そして秋葉中遠線の語源・秋葉山とは、浜松市天竜区にある秋葉神社のことで、火伏の神として有名です。
江戸期は地域で「講」を作り、年に一度代表者が参拝に行きお札を配ったり、毎晩交代で地域の常夜灯に火を灯す活動が根付いていたようです。
秋葉山は特に三河から遠州にかけて深く信仰され、三河以東の道中では、秋葉山常夜灯を度々目にすることになります。

秋葉山常夜灯(掛川市日坂)

そういえば、東京の「秋葉原」は、防火のための干渉帯として設けられた原野の脇に立つ神社が、秋葉神社と関係があると勘違いされ、秋葉さんの原っぱ→秋葉原という地名となり定着したのだとか。

袋井から秋葉街道を上がって行った先、あの山奥にある秋葉山が、江戸期にはそれほどメジャーだったことが、地元の人間には少々驚きです。
いま秋葉山へは、秋葉バスや遠鉄バスで行くことができます。

V字の右辺で掛川へ

48本目
しずてつジャストライン 掛川大東浜岡線 掛川駅 行き

大東支所12:30発→掛川駅13:03着
650円

だいぶ紆余曲折しましたが、ひとまず掛川行へ乗車します。
バスは、時折茶畑に覆われた丘陵地帯を軽快に走ります。

車窓は茶畑
名も知らぬ交差点を曲がる

そういえば、静鉄が発行するICカード「ルルカ」は、関西地盤のピタパの規格を採用しており、おなじみSuica(スイカ)やICOCA(イコカ)も使えます。

一方、おとなり浜松地盤の遠鉄における鉄道・バス共通のICカード「ナイスパス」導入は、なんと本邦初(本当)だったものの、独自規格のためにSuicaなど全国的に使えるICカードとは相互利用できないまま、現在に至ります。

静鉄がICカードを導入する際、縁遠い関西のピタパを採用すると聞いた当時は違和感がありましたが、今となっては先見の明があったのでしょう。

そしていま、京都から持ってきた阪急電鉄発行のSTASIA・ピタパカードを使って掛川駅で静鉄バスの運賃をポストペイ(ピタパはせっかちな関西人仕様のため、チャージ式でなく、口座引落しの後払い式)している感動は、正直どう言い表して良いのかよく分かりません。

遠く離れた町で、偶然地元出身の友人と再会したような?なんか違うような…

トンネルを抜ければ
掛川駅はすぐ

ICカードに限らず、遠州鉄道(遠鉄)と静岡鉄道(静鉄)は、なにかと比較されがちだと思います。

県都であり商都・静岡を地盤とする静鉄、県内最大の人口を誇る工業都市・浜松を地盤とする遠鉄。
鉄道線は、どちらも自社発注車が市街地をパターンダイヤで頻繁に行き交う様子が似ていますが、バスは大きく印象が異なります。

県中西部に広大な路線網を抱えた静鉄、県西部にこじんまりと収まった遠鉄。
国のオムニバスタウン事業第1号に指定され、全国に先駆けて低床車が行き交った遠鉄に比べると、静鉄は常におんぼろ車のイメージがありました。
エレガントなシルバーに落ち着いた緑の帯を巻いた遠鉄と、煤けたクリームに色あせた赤い帯を巻いた静鉄(旧塗装の頃の話です)。

阪急と近鉄、と言ったら少しニュアンスが違うのかもしれませんが、遠鉄バスは子供心にはそのくらい輝いて見えました。なんてこと書いていると、静鉄バスファンの人に煙たがられるかな…。
今となっては、広大なエリアに個性的な車両が行き交う静鉄バスも大好きです。
反面、元気のない遠鉄バスが心配です。

掛川に到着
静鉄バスは営業所ごとに動物のサインがある
浜岡は、実際に海岸へやってくるウミガメ

ちなみに、遠鉄・静鉄はどちらも連結売上高1,500億を超える一大企業グループで、一部のJRを凌ぐほど。
ただ、バスや鉄道など運輸事業の比重はごくわずかで、ほとんどを百貨店やスーパーなどの流通小売、そして自動車販売業など非鉄道事業で稼いでいます。バス屋がマイカーを売るってのも、ミイラ取りがミイラみたいな話ですが、クルマ社会に抗って交通だけやったところで食えんからな。

両者ともに決算書上は地方の電鉄会社の域を凌駕し「準大手」と称して良いほどの優等生ぶりで、売上高ランキングを作っても仲良くランクインしているのが微笑ましい。

順位会社名売上高(億円)
18京成電鉄2,077
19 南海電気鉄道1,908
20JR貨物1,873
21遠州鉄道1,848
22静岡鉄道1,560
23JR北海道1,119
24JR四国489
大手私鉄の売上高ランキング(2020-2021年)

掛川宿探訪

現在の時刻は13時過ぎ。
日坂宿へ向かう「掛川バスサービス・東山線」の次便の時刻を確認すると、14時10分の発車です。

東山線、今日が平日だったら長い待ち時間を食らうところでした

なんと!またしてもランチタイムがあるではないですか!!
1時間余りですが、ゆっくり宿場散策といきましょう。

26.掛川宿

本陣2軒、旅籠30軒、人口3,443人。
掛川城の城下町。古来、市街地を流れる逆川がよく氾濫したため、堤防が「欠けた川」が転じて「掛川」と呼ばれるようになったとか。山内一豊の居城・掛川城の復元天守はなんと木造で、日本でもここだけのよう。
同じく木造の渋い東海道線・掛川駅も印象的。


なお、本陣跡は飲み屋街になっており、「本陣で飲むぞ~!」の看板がツボだった。
多分、当時も飲んでただろうし笑、鄙びた石碑を眺めるばかりが宿場巡りではないと思うのですよ。

本陣跡は飲み屋街!
掛川駅(一応新幹線も停まります)

さて、撮るもんも撮ったし、腹ごしらえといきましょう。
今回お邪魔したのは「さくら食堂」さん。

あからさまに城郭風の外観
良心的なメニューが並ぶ

私はあんまり事前に食事処を調べないので、なんとなく入っただけですが、少し遅い時間にもかかわらず、地元の方が席を埋めていました。

焼肉定食

峠越えを控えていますので、スタミナつけなくちゃ、ということで「焼肉定食」をオーダー。
750円。安い!
2日続けて、静岡飯はなぜこんなに安くてうまいのか…。
あわよくば、某ハンバーグチェーン店に行ってみたいという意見もありましたが、あくまでバス優先です!こういうチェーン店でない店こそ、旅の思い出にも良いではないですか。

掛川宿→日坂宿

食事を済ませても、まだ少し時間があります。
せっかくですので、お城を見に行きましょう。

天守とともに復元された大手門
手前の太鼓櫓は移築ですが「当時物」

この後、峠越えなんだけどな…おかしいな、温存できずに石段を登ってしまう自分がいます。
そのくらい、掛川城のたたずまいに見惚れてしまいました。

美しい復元天守

ここは、小学校の社会科見学で来て以来の訪問です。
当時10歳ですから、27年ぶり?

その頃はまだ新築のピッカピカでしたから、少しは掛川の街にも馴染んだでしょうか。
掛川城の見どころとしては二の丸御殿の方が希少で、現存するのは二条城とここ掛川だけです。
市街地は典型的な地方のシャッター商店街でさびれてしまいましたが、お城の周りだけは観光客でにぎわっており、少しホッとしました。

めちゃくちゃレトロな連雀商店街
THE 昭和

調子に乗って「こだわりっぱ」の抹茶ソフトクリームを食べ、バス停に戻ったのは出発5分前。
危ない危ない。すっかりイチ観光客になるところでした。
え?観光客やないかって?
否、わたくし、バス旅はスポーツだと思っているので、物見遊山にふけって気を抜くわけには参りません。神経を張り巡らせ、常にバスの糸を手繰り寄せるのが我々のミッションなのですから。

とは言え、次に乗る日坂へ向かう区間が本日最後のバス移動なんだろうな、と漠然と考えています。まだ日も高い14時なんですが。
それほど、後に控える難所・小夜の中山が未知の世界であり、今の我々にとって恐ろしい存在なのであります。

後編へ続く


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です