1日目-前編 京・三条大橋→石部宿 東海道路線バスの旅(2021年11月13日)

何年かかるか分かりませんが、東海道五十三次を路線バスだけで旅したい!との思いから、三条大橋を出発しました。本記事は、その記録です。

旅行当日はtwitterで実況していますが、いかんせん実践頻度が高くないのと、過去のtweetは見るのが面倒なので、資料的観点からまとめて記事にしておきます。
どなたかが、同じようなことを実践する際の手掛かりになればと思いますし、バス旅×徒歩旅に繰り出す方が一人でも増えれば嬉しく思います。

三条大橋
弥次喜多像
準備OK

いざ、遥かなる東京・日本橋へ!

三条大橋→大津宿

比叡平方面
山科方面

7時に集合したのに、三条京阪停から東進するバスは40分後。
早速、出鼻をくじかれます。

また、この区間、2019年9月に彦根を目指してバス旅をした際には、比叡平経由で大津京へ向かいました。当時は、もっと早いバスがあったように記憶していますが、今回、初発が8時50分まで繰り下げられていました。
京都市域の京阪バスでは、2020年12月改正で大減便があり、その影響が現れている模様です。

折からのコロナ禍で全国の公共交通機関は(バスだけでなく、鉄道も飛行機も船も)多大なる影響を受け、減便や休廃止が相次いでいます。
以前より過疎化、人口減少、人手不足で、もともと地方の公共交通は縮退傾向が続いていましたが、コロナで拍車がかかり、バス旅というジャンル自体もあと10年続けられるのか、先々が非常に危ぶまれるところです。

というか、多分できなくなります。
だからこそ、資料として残しておきたいと思います。

1本目
京阪バス 19 山科駅 行き

三条京阪7:42発→山科駅8:03着
250円

この京阪バス19号経路(「○○系統」ではないそう)は、三条大橋から蹴上、九条山、御陵を経て山科駅に至るまでの間、一貫して三条通・東海道をひた走るバスです。

いまも日本の国土軸を貫く「天下の東海道」を公共交通機関で旅をするならば、筆頭は「東海道新幹線」、次いで「高速バス」、だいぶトリッキーですが「東海道本線」、また東阪間なら「飛行機」も挙げられます。
しかし、やろうと思えば、路線バスでも往来可能なのです(ただし、まだ証明はしていない)(先人は多分いっぱいいます)。

そんなわけで、当バスは、上京という大いなる旅路を担う大切なバス、ということで「東海道路線バス」とでも名付けましょうか。

京阪バス19号経路

さて、九条山を通過中の閑散としたこのバスは、地下鉄東西線(三条京阪~山科)と完全に競合しています。というか、全線、地下鉄の線路の上を走ります。
では、何の意味が…?と言えば、お年寄りの足になっています。
停留所の間隔は地下鉄よりはるかに短く、また地下鉄は地面奥深くまで潜らないといけないため、乗るまでが大変です。

バスなら、道端からひょいと気軽に乗れますからバリアフリー。
当日も、最終的には我々以外にお客様が2名、見えました。
2名…。

山科駅

続いて、山科駅から大津駅を目指します。

この区間は、もともと三条通りを東進し、1号線に入って浜大津まで向かう46号経路がありましたが、10年以上前に廃線になっています。

その後も、湖西道路経由大津京駅行き47号が1日数本残り、バスでの県境越えは可能でしたが、数年前の「年1回、10月1日のみ運行」という訳の分からないダイヤ改正を経て(いわゆる免許維持路線化)、2度走らないうちに廃止になりました。

今回は、40号代シリーズのうち、唯一生き残った48号経路「藤尾・小金塚行き」に2区間だけ乗車します。

2本目
京阪バス 48 藤尾・小金塚 行き

48号系統
緑ヶ丘

山科駅8:10発→緑ヶ丘8:14着
210円

緑ヶ丘停からは、バスが途切れるので歩きます。
そして、歩き出してすぐに滋賀県に入ります。

逢坂(おうさか)の関あたりが峠になっているので、普通に考えればそこが県境になっていそうなものですが、このあたりは複雑で、細い路地を挟んでこちらが京都、向こうが滋賀、みたいなことになっています。
バスも「藤尾・小金塚」行となっていますが、山科駅基準だと藤尾が手前にあるのに大津市、奥の小金塚が京都市です。なんだか妙ですね。

ちょうど、コロナが厳しい時期に「県境越えの自粛を要請」と言われてましたけど、このあたりにお住まいの方はさぞ馬鹿馬鹿しく思っていたであろうなと想像します。

走井

この区間は旧東海道の見どころが多く、むしろ徒歩の方が好都合です。
写真は月心寺の「走井」で、歌川広重の描いた大津宿「走井茶屋」があったのがこのあたりと言われています。

蝉丸神社

続いて「蝉丸(せみまる)神社」。
名神を京都へ向けて運転すると、大津ICからトンネルが2つ続きます。
「大津トンネル」「蝉丸トンネル」ですが、特に後者は渋滞の先頭になりやすいので、FMラジオの交通情報でもよく耳にします。

逢坂の関跡

そして逢坂の関跡。
峠になっており、トイレも整備され、旧街道を旅している気分が盛り上がります。

大津宿

本陣1、脇本陣2、旅籠71
東海道東進最初にして最大規模の宿場。人口は1万人を超えていた。
東海道・中山道・北陸道が集まる交通の要衝。

大津の街へ入り、無事、初宿場の大津宿をゲット。
やはり、この区間はバスに乗らない方が好都合でした。

大津宿→草津宿

ここから、困ったことに長時間の待ちを余儀なくされます。

正確には、別の乗り場からすぐに石山行が出ていましたが、石山から先が読めないので見送り、確実に一本で草津へたどり着ける手段を優先しました。
一応、浜大津ターミナルにもバスの案内所はありましたが、開いておらず…。

電車は、事前に決めたルールではバス100分待ちが条件なので使えず、時間をつぶします。
もっと遠くに来ていたら、付近の名所巡りとか、ローカル名物チャレンジとかしたくなりますが、大津やからなぁ…(京都在住のため、日常の延長感が否めない)。

大津駅へ

ここで、バス旅実況には加えてませんが、浜大津駅から大津駅へ移動しています。
大津駅始発でバスの本数が増えないか?という気付きですが、空振りに終わります。
結果は無駄足でしたが、大手私鉄とJRが並行する地域では、片方の駅前からしか出ない路線がある場面によく遭遇するので、こういう細かい技も積極的に使っていきます。

JR大津の駅前は近年きれいに整備され、スタバとか入ってますが、なるべくローカルネタを探して平和堂へ。

近江大橋経由で、一気に草津を目指します。
往年の旅人からすれば、安全で快適で、夢のような「矢橋の渡し」です。

近江大橋

さて、琵琶湖を渡り、イオンモール草津で乗せたお客さんも、ほどなく全員下車してしまったので、車内をパチリ。

近江鉄道バス

最近の路線バスは、乗降口に段差のないノンステップ車が多く、特に近年の車両は、ユニバーサルデザインの見地から?車両メーカーのコスト削減のため?規格の統一が進み、画一的な車内が増えてきました。

合理的ではあるものの、別の街に来た実感が乏しく、面白味が減ったと感じていたので、この近江鉄道バスの特徴的な車内風景は嬉しかったです。
モケットのブルーはもちろん琵琶湖イメージよね?とか、想像できる余地があることは楽しいものです。

さて、草津へ到着です。

草津宿

本陣2、脇本陣2、旅籠72
田中本陣跡は、当時の建物が現存する貴重なもので、草津市営の資料館として公開されている。
6代将軍徳川家宣により貫目改所が置かれたのは、ここ草津と、品川、府中(現在の静岡市)のみであったことから、往時より幕府に重要視されていた宿場である。

この草津宿本陣は、石碑ばかりの「本陣跡」の中で、当時の建物が残る大変貴重な場所です。
正直、中に入って見学したくて仕方ないのですが…次のバスが…。後ろ髪惹かれる思いで後にします。
まぁ、草津位なら、後日すぐに見に来れます。

ところが、これがもっと先の静岡・神奈川だったらどうすんだ?
バス旅の悩ましさです。

お昼は相方の希望で「近江ちゃんぽん」。
長崎のそれとは違い、スープが透き通っています。京都市内にも店舗があり、何度も通っています。おいしいので、お試しあれ。

草津宿→石部宿

ここまでは生活圏に近く土地勘もありましたが、この先はいよいよ未知の世界になってきます。
草津は東海道と中山道が分岐しますが、鉄道の世界だと新幹線・東海道本線は中山道周り。東海道へむかうのは「草津線」です。
徐々に都市部から遠ざかり、バス旅も難易度が上がります。

駅を出たバスは、天下の国道1号を東へと、淡々と進みます。
天下の、とは言っても、近隣には高速道路が2路線と、さらに1号線にもバイパスが整備され、国道を走る車の量はさほど多くはありません。

こういう変化も、知らない町に来た感があって良いです。
程なくして、車窓左手には「近江富士」が見えてきます。

近江富士(三上山)

伊勢落付近では、突然路地奥に突っ込んでバックしたり、同じようなところをぐるぐる回ったり、意表を突く動きをするのも、ローカルバスの楽しみ。

転回中
伊勢落バス停


「はぁ~、ここにはもう多分一生来ねぇだろうな~」が、バス旅道中の口ぐせです。

ちなみに、石部からはこの旅で初めて、バスが途絶えました。
正確には、無いわけではないのですが、運転手さん曰く「午前に一本あったんやけどなぁ笑 あっはっはー!」
というわけで、徒歩連絡が確定!

石部宿

本陣2、脇本陣0、旅籠32
京を朝出立すると、その日は石部まで来るのが一般的で「京立ち石部泊まり」と言われた。
宿場の西(伊勢落との間)にある石部金山は、奈良時代から銅が採れ、古銭の鋳造にも用いられた。この金山をして、生真面目な人物を指す「石部金吉」の語源と言われている。

大ヒットドラマ「半沢直樹」で、柄本明扮する箕部幹事長が、半沢に投げつけた言葉でしたね。

石部宿までは旧東海道を歩きました。
過度な観光地化はされていない、素朴で落ち着いた街並みが続く石部宿周辺は、歩いていても心地よかったです。

後半へく。

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