品川宿→江戸・日本橋
徐々に冷え込みが厳しさを増す中、再び八ツ山橋バス停に戻ってきました。
先ほどと同じ路線に乗車します。
87本目
東京都営バス 反96 六本木ヒルズ 行き
八ツ山橋18:46発→魚籃坂下18:59着
210円
相方曰く、「魚籃坂下(ぎょらんさかした)で乗り換えます!」
何なんですか?そのギョランて?漢字が全然出てきませんでした。
そこから、東京駅行きのバスに乗り換えられるそうです。
これは相方の土地勘に助けられました。
ただ、東京駅行きのバスは本数が少なく、25分の待ち時間が発生しました。
都心に近く、コンビニにはイートインスペースなどなく、寒空の下で暖を取れないのが辛い。
ちなみに、バス停名の魚籃というのは魚の「びく」で、魚籃坂の途中には名の由来となった魚籃寺があります。
浄土宗の寺で、1652年、称誉上人による創建。新しいですね!(←京都・奈良人が言うとマウントになるやつ)
本尊の魚籃観音は、右手に魚を入れた竹籠を持つ立像で、仏が乙女に化身し、びくに入った魚を売りながら仏法を広めたという故事により造られたといわれています。
ま、こんな時間では拝観も叶いませんので、大人しく缶コーヒーを抱えてバスを待ちます。
25分。長く感じますが、待てばバスが来るんです。
それも2時間とか3時間ではありません。たった30分未満。
なんと贅沢な!!
…とはならないんだなぁ~。
今日の「好接続まつり」の後では、停滞感を禁じ得ません。
なんと怠惰な!!
満を持して、東京駅南口が到着。このバスが最終ランナーか??
88本目
東急バス 東98 東京駅南口 行き
魚籃坂下19:24発→東京駅南口19:52着
210円
等々力~東京駅の当線は、路線長15kmの東急バス最長路線。
全線直通は朝夕のみになってしまいましたが、都心の長距離路線バスとして有名ですね!
東京タワーの下を通り、霞が関の中を突っ切り、皇居のお堀端を進みます。
これぞ東京!って沿線ですが、夜間で景色が映えないのが残念。
午後8時、見慣れた赤レンガの東京駅丸の内駅舎が見えてきました。
今の姿によみがえった復原工事は2012年竣工。
なんと、もう10年も前の話です。
無事天下の東京駅へ着いて、我らの旅もこれにてゴー…るとはなりません。
この旅は東海道五十三次乗り継ぎ旅。
日本橋までたどり着かねば!
しかし、21時20分の最終新幹線まであまり時間もありません。
ここから日本橋まで歩くと…ううむ、意外に遠いですね。
1km以上はありそうです。
ならば、バスはないか?
都バスが何本か来ています。
そして、見つけた東22。
日本橋に停まる、正真正銘のアンカーです。
89本目
東京都営バス 東22 錦糸町駅 行き
東京駅丸の内北口20:08発→日本橋20:12着
210円
モニターに「日本橋」が表示されました。
今度こそ、栄光のゴールです!
万感の思いを込めて、バスを降ります。
日本橋は五街道の起点として栄え、江戸期には金座や銀座が置かれ、三越の前身・越後屋も店を構えるなど繁栄していました。現在も付近一帯には日銀をはじめとする金融機関、百貨店、製薬会社、問屋などが集積し、東京を代表する商業地の一つです。
日本橋と呼ばれるエリアは広く、東京駅八重洲口がある「八重洲一丁目」も、かつては「日本橋呉服町」の町名で日本橋地域に属していましたので、鉄道にとっても道路にとっても日本橋は東京の中心というわけです。
ゴール地点の道路元標を目指します。
道路元標とは、市町村ごとに設けられていた道路の始点となる標識のことで、戦前は法令により設置が義務付けられていましたが、現代にその規定はありません。
とは言え、今でも全国各地に当時の元標が残されており、多くは市役所や役場の前にあります。
当時の東京市は五街道を整備した徳川幕府に倣い、ここ日本橋に設置しました。
本物は橋の中央に埋まっていますが、車道の真ん中ですので、橋の北西にレプリカが設置されています。
ここを、東海道を端から端まで辿ってきたこの旅の「真のゴール」としたいと思います。
首都高が覆いかぶさった今の日本橋ですが、首都高を地下化して景観を取り戻す計画が進行中です。
2040年頃に完了する予定で、辺りの風景は様変わりします。
楽しみですね。
さて、昨年11月に三条大橋をスタートして1年と2カ月。
途切れ途切れに8日間の旅でしたが、徒歩地獄あり、夜間行軍あり、大雨や台風、停電など、様々な困難に見舞われました。
本当に、もう少し安全に平穏に来られないもんかと思いますよね。
おかげで、ハラハラ、ドキドキが絶えない行程となりました。
東海道五十三次・路線バスの旅。
こんな東海道、見たことない!
そんな風に感じてもらえる、路線バスでの旅路をお届けできたのではないでしょうか。
里程標によると、京都から503km。
嘘だ、絶対もっと行ってる!
路線バスで東海道五十三次、これにて完結です。
着いたー!!!!
ほな、帰ろっかぁー!!!!!
えぇえぇ!もう!?
あとがき
8日間の死闘。
全てを振り返って表現するなら、そういっても過言ではないように思います。
バス旅に出かけるときは、いつも「へとへとになる」ことを覚悟して臨んでいました。
長距離の徒歩も理由の一つですが、次のバスを待ちくたびれる状況も多くありました。
そして何よりも、思うようにいかない、うまく繋がらないもどかしさ、天候に恵まれない悔しさ、それによる気持ちの面での浮き沈みが大きかったです。
昔の旅は命がけでしたが、いつしかそれは安全が約束されたもの、さらに高度に発展した鉄道システムにより、時間までもが約束されるようになりました。
そして究極は自動車。いつでも、どこでも、自分の好きなところへ楽に行けるようになりました。
おかげで、人々は目的地ですることに意識を集中し、移動中は運転さえなければ専ら仕事や読書、動画、ゲームなどを楽しんだり、眠ったりするようになりました。
少しでも早く目的地に着き、やりたいことをやりって、少しでも早くまた次の目的地へ移動する。
文字通り目的地を結ぶ「点の旅」です。
ところが、江戸時代の庶民にとって、移動手段は徒歩しかありませんでしたから、目的地で過ごす時間より、圧倒的に長い時間を移動に充てざるを得ませんでした。
すると、その退屈な移動時間をいかに楽しむか、移動時間の中でいかに有益な体験をするかに目が向きます。
土地の風景に癒され、土地の名物を味わい、土地の人との出会いを楽しむ。
道中を過ごし、道中を味わう。これが「線の旅」です。
路線バスの旅、それも事前にダイヤを調べない「行き当たりばったりの旅」は、後者に分類されるように思います。
何度も往復していたはずの東海道ですが、この旅で初めて訪ねた場所、知ったこと、疑問が生まれ、解決したことがたくさんありました。
バスと徒歩の組み合わせだからこそ抱き得る視点がありました。
何より、文字通り身体も頭も限界で「へとへとになる」体験。
大人になって会社勤めを始めてしばらく経って、最近はめっきり減っていました。
達成感の大きさは、そこに至るまでの道のりの険しさに比例すると思います。
楽しさや嬉しさは、苦しさや悔しさの写し鏡なんだなと。
予定のない、先の見えない旅は、自分たちの働きかけによって切り開かれる。
懸命に前向きに、一歩ずつ歩むことで道が繋がり、次のバスに出会える。
一方で、どう足掻いても事態を打開できない場面もあり、時にはあきらめも肝心ということも、改めて学びました。
だから、人事を尽くして天命を待つ。
旅も、仕事も、人生も。
たかが路線バスの旅、されど、路線バスの旅なのです。
バス旅は人生の縮図。
その魅力が、この旅の道中記で少しでも伝わったのならば幸いです。
さて、いまバス業界は未曽有の危機を迎えています。
特に最近全国各地で続発している極端な減便は、コロナ禍による乗客減少だけでなく、運転手不足に起因するところが大きいのです。
現状、バス運転手の平均年齢は55歳と言われており、まもなく訪れる大量退職時期を迎えた暁には、現在の運行本数は到底維持できません。
それでなくても、発進したくても道を譲られず、時に煽られ、クレームに晒され、大切にされていない路線バス。
何よりも辛いのは(特にクルマ社会の地方では)利用されないことです。
バスの置かれた前途は暗く、個人としては利用することで支えたいという思いがありますが、旅人の気まぐれ乗車など言うに及ばす、一人が通勤に使う程度では焼け石に水もいいところなのです。
2023年初頭にこのような旅ができたという記録が、後から振り返ったら幻のようだった、そんな現実が目前に迫っています。
必要とされるなら、誰でも受け入れてくれる、そんな路線バス。
バスは、運転する人、点検整備する人、運行を管理する人、組織として経営したり、行政など運行補助の予算を組む人、そして利用する人など、たくさんの人に守られ、支えられています。
あって当たり前ではないのです。
公共交通は、ただそこにある水や空気とは違って、人の手による、人々の暮らしを成り立たせるための、途方もない営みなのです。
この旅で見てきたように、交通空白地帯は加速度的に増えています。
高齢ドライバーの交通事故が頻繁に話題になり、その都度免許を返納せよと声高に叫ばれますが、バスの衰退により足がないという問題は切実で、誰もが他人事ではいられないのです。
自動運転の実用化は、技術的にはまだまだ先の話です。
バスの語源は「オムニバス」、即ち「すべての人のために」を意味するラテン語です。
人々の繋がりが切れ、個々の部屋やクルマに籠って分断していく時代に、バスはたまたま同じ時間に居合わせた老若男女が、同じ方向を向いて座る稀有な空間です。
互いに少しずつ譲り合いながら、秩序が保たれている小さな社会です。
前時代的でもありますが、そうした空間が現代に残っている、その事実だけでも奇跡のように思え、愛おしいのです。
そんなバス。
たとえ形を変えたとしても、どうにか守られていくことを願ってやみません。
今度、機会があればバスに乗ってみてください。
そして、道路が、路線が運んできた時間や人々に思いを馳せてみてください。
1本のバスから、はるかな旅が始まるかもしれません。
今回の旅路を支えてくれた28の路線バス運行社局・89本のバス運転士の皆様、現地往復のためにお世話になった交通機関各社、東海道沿線の事業者・住民の皆様、送り出してくれた家族、そして旅の相方に、改めて感謝します