第5回-前編 舞阪宿→袋井宿 東海道路線バスの旅(2022年5月14日)

初の2Days東海道ツアーを敢行中です。
ツアーつっても、ローカル路線バス乗り継ぎの旅ですが。
しかも、先の旅程が全く分かっていません。
だがそれはいつものこと。

昨夜は実家に泊まって英気を養いたかったのに、夜中は豪雨となり、大きな雨音に何度も起こされました。最近の豪雨は以前に比べると凶暴で、恐ろしい限りです。
あれだけ降って、この先の道中は大丈夫なのでしょうか。

続・舞坂宿→浜松宿

本日は、昨夕到達した「馬郡」バス停からスタートします。
松並木の中ほど、南に少し外れたところに遠鉄バスの馬郡車庫があり、ここが現在の「浜名線」の終点となっています。

43本目
遠鉄バス 12系統浜名線 浜松駅 行き

馬郡6:43発→ザザシティ前7:08着
490円

当線、以前は湖西市の鷲津駅を越えて、入出地区にまで足を延ばしていたように記憶しているので、3分の2近くの路線長が失われたことになります。
路線名の「浜名」とは、言わずもがな浜名湖の浜名ですが、合併前の舞阪町、新居町は「浜名郡」でした。
古くは湖西市の前身、鷲津町や白須賀町も浜名郡でしたので、当路線は浜名とよばれる地域を貫通する基幹路線の看板を背負っていたはずです。
そんな由緒正しき路線の凋落ぶりはとにかく寂しいの一言。
まさか、バスでの県境越えはおろか、浜名湖を渡ることさえできないなんて。

朝から暗い話をしても仕方ありません。
まずは浜松を目指しましょう。

最初は誰も乗っていませんでしたが
最終的には二人掛け席に一人ずつ座る位までに

バスは終始東海道をひた走り、途中「旅籠町」など街道沿いらしいバス停もありました。
日曜朝の道路は空いており、距離のわりにはあっという間に浜松宿本陣跡最寄りの「ザザシティ前」に到着します。

29.浜松宿

本陣6軒、旅籠94軒、人口5,964人。
若き家康が居城とした浜松城の城下町にして、現代は静岡県内最大の人口を誇る政令市。江戸期も本陣の数6は他の宿場に比べても群を抜いて多く、繁栄ぶりがうかがえる。
一方、工場密集地帯かつ空軍基地があったため、大戦中は度々空襲に見舞われ焼け野原となった。
宿場周辺には、東海道の遺構は全くと言っていいほど残っていない。

本陣跡には看板が残るのみ
ホントに、看板だけ

浜松駅は正16角形の美しいバスターミナル。
駅とは地下道で結ばれ、雨に濡れることなく全ての乗り場にアクセスできるこの形態は、秀逸なデザインだと思います。
ただ、乗り場によっては本数がかなり少ないのが気になります。
私が幼少の頃は、どの乗り場からも10分程度の間隔でバンバン発車していったように記憶していますが、今の時刻表には余白が目立ちます。

浜名湖を渡る路線は皆無
バスが来ないわけよ…
駅前のシンボル・アクトタワー
上層階は雲がかかっている

案内所に掲示される路線図を確認しましたが、ネットワークはかなり縮んでいるようです。
残念ながら、この先、磐田から袋井へ向かう路線も地図から消えています。
昨日体験したバス空白地帯の様子を踏まえると、あわよくばコミュニティバスなどに移管されていれば助かりますが、コーちゃんバスのように「平日のみ運行」だと厳しいな…。
雨は上がりましたが、我々の旅路には暗雲が立ち込めたままであります。

浜松宿→見付宿

44本目
遠鉄バス 80系統中ノ町磐田線 磐田営業所 行き

浜松駅7:40発→磐田駅8:18着
510円

路線名にもある「中ノ町」は、天竜川を控えた浜松市最後の町で、ちょうど東海道の「距離ベース」では真ん中にあたる地点です。(宿場の数ベースで行くと、53の中央値・27番目はこの後到達する「袋井宿」)
5日目で半分ですから、東京までの残りの行程も5日程かかるのでしょうか。

ところどころで松並木を眺めながら進みます
車窓にこびりつく雨粒が美しい

ちなみに、これは大学受験の時に気が付いたことですが、新幹線の切符は東京~浜松と、浜松~京都は全く同額です。
たまたま、東京の大学と、京都の大学を1つずつ受けたために気付きました。
(東大と京大じゃないぞ☆)
遠州地方は、本当に、東海道のど真ん中なんですね。

天竜川を渡る最中、橋の下をのぞくと前日からの豪雨の影響か、濁流になっています。
昔から氾濫が多かった天竜川、地元では「暴れ天竜」の異名を取っていましたが、東海道では大井川ほどの難所扱いされていませんでしたね。
これは、大井川の川越が「あえて」船ではなく、人で扱われていたからです。
川越人足たちの肩車で越えていくという、不合理さ。

濁流と化した天竜川
奥の橋は国道1号の新天竜川橋
トラスが美しい天竜川橋

そのように不便にしておくことで、江戸の防衛を図っていたとのことですから、こんなに増水していても、たった数百円の小銭で大河を一跨ぎできるとは、つくづく幸せな時代です。
大井川もバスで越えたいぞ!

国道1号(右)とは付かず離れず、バスは県道に格下げされた旧道を行きます。

さて、浜松宿と見付宿の間は長躯12.5kmの道のりですが、バスは素晴らしいことに一気に磐田駅を越え、見付宿近傍の加茂川へ至ります。
京都からここまでを振り返っても、10km超えの宿場間を綺麗に一本で結ぶバスは、水口→土山、石薬師→四日市程度と限られ、珍しいものなのです。

とは言え、見付宿から先はさっそく黄信号が灯っています。
相方との間では、一気に見付宿まで行ってしまわずに、磐田駅で情報収集をしておこうとまとまりました。
しかし、この選択が、のちの行程に暗い影を落とすことになるとは…。

磐田駅での情報収集

どことなくお寺のような佇まいの磐田駅
昨日湖西市でお世話になった浜松バスと再会

駅前で袋井方面へ向かうバスを探すも、やはり東海道に沿って進む路線は見つかりません。
袋井市街の少し北側「山梨」を通る秋葉バスの磐田線と言う路線がありますが、こちらは土日は運休。
南の方へ大回りすることも考えられますが、時間も、繋がるかも見えず、最悪歩くことになることを考慮すると、東海道をまっすぐ進んだ方が南北の移動がない分、時間のロスは少なそうです。

ともあれ、まずは宿場訪問ミッションのために見付宿を訪ねなければなりません。
次に来るバス、80番・磐田営業所行きの見付宿最寄りは「加茂川」。
ただ、およそ15分後に来るバス・市民病院線ならば、本陣跡の目と鼻の先「見付学校前」まで行けそうです。

45本目
遠鉄バス 31系統磐田市立病院福田線 磐田市立病院 行き

磐田駅8:35発→西坂町8:39着
150円

少しでも歩く距離を短くと選んだ市民病院線でしたが、数少ない北高経由便に当たり、学校前は通らないとの由。
そして、これが痛恨のミス。15分ほどのロスのために、見付宿から先、磐田営業所方面への次のバスへ乗り継ぐことが難しくなり、結果的には磐田営業所までの間、3kmほど余分に歩くことになってしまいました。

目先の数百mの徒歩をケチった挙句、まんまと策に溺れる…く、悔しい~~!!

28.見付宿

本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠56軒、人口3,935人。
御油宿で分かれた姫街道と再び合流する地。
姫街道は、取り調べの厳しかった新居関や今切の渡船を避けるために女性が多用した脇往還とされているが、山の中を行く道中は険しく、路線バスの旅ではとても抜けられそうにない。
磐田は、今でこそ新幹線駅もなく地味な印象だが、律令制時代には国分寺が置かれ、遠江の中心都市であった。現代の磐田と言えば、サッカークラブのジュビロ磐田が有名で、駅前の通りは「ジュビロ―ド」と言われている。
なお、右の写真「旧見付学校」は、本邦に現存する木造小学校校舎の中では最古のもので、1875年(明治8年)築。

脇本陣跡には薬医門が残っている
旧見付学校

見付宿→袋井宿

富士見町
富士山は…?

富士見の地名があるほど、アップダウンの続く道を進み、磐田営業所へ向かいます。
見付という宿場名の由来も、京から来た旅人が富士山を見付けたことから来ているようです。
我々も京都から来ましたが、残念ながら今日は曇り空で、どこが富士かは良く分かりません。
というか、しょうもないミスが悔しくて、それどころではないというか。

30分ほど歩き、本来ならバスで来られた磐田営業所へ到着。

遠鉄バス磐田営業所

ここから先はやはり廃線で、袋井方面へは徒歩移動のみです。予想通り。
このあたりの東海道は、海岸線を離れているためか意外にアップダウンがあります。
じわじわと体力を削られている気がします。後半に響かないと良いですが…。

磐田原台地を下る
ところどころに松並木

袋井市域へ突入(徒歩で)

太田川を渡り、袋井市へ入ります。濁流が昨夜の雨の強さを物語る。
曇り空ですが、雨は止んでおり、歩きには都合のいい天候かもしれません。

太田川

淡々と歩き続け、間の宿・木原へ入ります。
集落の中に袋井駅方面へ向かうバス停を見つけましたが、残念ながら土日は運休。
これは嫌な予感だ…。

ダイヤ自体は割と頻回だが土日運休
東海道どまん中西小学校て…

その後も黙々と歩き、10時40分頃、袋井宿本陣跡に到着。
先に触れましたが、ここ袋井は京から数えて27、江戸から数えて27。
東海道五十三次ど真ん中の宿場町です。

27.袋井宿

本陣3軒、旅籠50軒、人口846人。
可睡斎、油山寺、尊永寺(法多山)の三か寺を「遠州三山」と呼び、袋井宿はその参詣客で賑わった。
遠州地方で法多山はそれなりに影響力があり、幼少時はクラスメイトから「お参りに行ってお団子を食べた」という話をよく聞いた。

見付に比べると宿場の規模はかなり小さいが、現代は磐田の人口16万に対し袋井は8万で、当時よりその差は縮まったと見るべきか。

当地では夏に「ふくろい遠州の花火」が開かれる。静岡県人は無類の花火好きで、消防の打ち上げ許認可件数が全国トップクラスであるが、その県下最大の花火大会を擁するのがここ袋井だ。

秋葉山へ通じる秋葉街道も袋井から分岐しており、市内では秋葉山常夜灯が多数みられる。

人ん家の玄関先ではあるが本陣跡
袋井宿場公園、少し先にど真ん中茶屋

袋井宿→掛川宿

掛川方面への道筋が描けない我々は、ひとまず駅を目指すことにしました。
市役所前にて、森町方面からやってくる「秋葉バスサービス」に乗車します。

46本目
秋葉バスサービス 秋葉中遠線 袋井駅前 行き

中央町・市役所入口10:54発→袋井駅前10:59着
180円

当路線を運行する秋葉バスサービスは静岡鉄道系列で、塗色も静鉄(ジャストライン)の色違い。
しかし、車両は親会社の静鉄ではなく、神奈中バスの中古です。
本家・神奈川中央交通の路線には、きっと終盤でお世話になることでしょう。

原野谷川
袋井駅秋葉口(北口)

太田川同様、茶色に濁った原野谷川を渡り、袋井駅に到着しました。
このバスは全国的にも珍しいお釣りが出る運賃箱でした。
最初、両替しようと思ったのに投入口がないため、意味が分からずまごついてしまいました。
習慣とは恐ろしい。路線バスの乗り方のバリエーションは、もっと恐ろしい。

袋井駅での葛藤

さて、袋井駅で情報収集です。
案内所は、残念ながら平日のみ営業。
バス停に掲出されている路線図によれば、掛川方面へ向かう路線があるにはあるが、嫌な予感が的中しました。案内所同様、全便平日のみ営業。あちゃー。
特に、困ったときはの病院行き「中遠医療センター」への路線が運休のため、半ば途方に暮れてしまいました。東海道に沿う路線は、ほかに見当たりません。

念には念をで、駅の反対側、南口へ回ります。
すると、どうやら南に向かう路線は今日も走っているようです。
と言っても、これは先ほど乗った秋葉中遠線のうちの中遠(=中部遠州)方面へ向かう路線で、遠州灘に沿って連なる浅羽、横須賀(大須賀)、大東方面へ向かうもの。
方角的には東海道からは大きく外れてしまいます。

いずれも従来は独立した自治体でしたが、平成の合併で東海道沿線の磐田、袋井、掛川に吸収された経緯があります。
そういう視点で地図を見れば、横須賀と大東はいずれも掛川市域にあたります。

袋井駅駿遠口(南口)
良かった、走っている

ということは、これらの町から掛川へ出る路線が出ている可能性は十分にありそうです。
はやる気持ちを抑えつつ、冷静に地図を確認します。
横須賀から掛川へ向かう幹線道路は見当たりませんが、大東からなら、主要地方道が結んでいます。

磐田からここ袋井へは歩いてきたばかり。朝に比べればかなり気温も上がってきたし、日坂から小夜の中山は確実に徒歩になるでしょう。
それならば、今は体力を温存しておくべきだ!

特に確証はないままですが、進退の窮まった我々は、超大回りながら「史上最大のV字作戦」に打って出ることにしました。
大東町役場で詰みになれば、鉄道もないので袋井へ戻るしかなく、時間のロスも含めて文字通り詰みなわけですが(苦笑)
まだ日も高いし、最悪どうにかこうにか帰っては来られるでしょう。

中編へ続く。

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