第3回-前編 宮宿→鳴海宿 東海道路線バスの旅(2022年3月13日)

再び前回より2カ月ほどの間隔を空け、名古屋からの第三弾は、宮宿を目前とした金山駅からのスタートです。

京都を出発して、初めての大都会・名古屋入りを果たすとともに、その難しさに面食らい、途方に暮れた前回。
あまりにも高度に発達し、縦横無尽に張り巡らされた名古屋の市バス路線を把握するのは困難を極め、案内所で路線図をいただいたところでタイムアップを迎えました。
今回は、その名古屋市バスの路線図が、強力な武器として力を発揮しそうです。

路線図の力も借りて、なんとか岡崎の先、赤坂・御油の辺りまでたどり着くことを本日の目標とし、旅立ちました。

いざ、名古屋へ!

今回、もともとは旅費節約のため在来線での現地入りを計画していましたが、夕方以降郊外にさしかかり、バスの本数の少なさに泣きを見る可能性が高いと踏み、行きは新幹線にしました。

始発の新幹線に乗ると、金山着は7時。
始発の在来線に乗ると、金山着は8時15分。
都合、1時間を2500円で買ったことになるのですが、この選択が果たして功を奏するのか、分かるのは今日の旅が終わった後です。

名古屋駅で「きしめん」を食べて景気付け!
金山、土曜夜とは打って変わって、全然人がいません。

路線バスでの七里の渡し、終着。

金山を後にし、宮宿を目指して進みます。

Twitterだと、神宮東門となっていますが、実際には一つ先の熱田伝馬町まで乗っています。
もともとは、最寄り停まで乗って、歩いて七里の渡し跡へ向かおうと思っていたのですが、因縁の「河合小橋」の地名が見えてしまっていたんですよね。

前回乗り継ぎで、唯一失敗らしい失敗だったのが、蟹江駅へ向かわずに、河合小橋からこの幹神宮1に乗るところ。もしこのバスに乗れていたら、熱田まで電車を使って来れたため、今日のスタート時間はさらに早かったかもしれません。

ただ、そうしていたら、路線図がゲットできていなかったであろうことから、この先のルート選択に際し、途方に暮れていたと思います。

一瞬の判断や、偶然のいたずらによって、繋がり方や経由地が変わり、無限のパターンの旅ができあがる。これが、路線バスの旅ならではの醍醐味、予測不能かつ奥の深いところです。

さて、無事、七里の渡し跡に到着です。
前回中途半端なところで終えた手前、気持ちとしては海上を2カ月彷徨っていたようなもの。
ようやく、宮宿に辿り着きました。

江戸時代には、ここから伊勢湾が開けていたそうですが、いまは新幹線の鉄橋が遮って、川や湖のような眺望です。
ここが、桑名から約30kmにも及ぶ海の旅の終点です。

41.宮宿

本陣2件、脇本陣1件、旅籠248件、人口10,342人。

宿場名の「宮」とは熱田神宮のことで、門前町としてだけでなく、七里の渡しを控えた宿場としても大きく栄えた。ひとたび天候が荒れれば、多くの旅人は足止めを食っただろうし、また渡船は昼間しか動いていなかったため、乗り遅れた人々を収容する商機もあった。故に、旅籠の件数は東海道随一となった。

旧東海道はこれより海上に出ましたが、現在、JRの東海道本線も、新幹線も、名神自動車道も、みな「美濃路」を経由して、中山道へ繋いでいます。

美濃路を行く道は、木曽川、長良川、揖斐川の木曽三川を、いずれも別々の渡し船で越えていましたが、三川は大河故、氾濫も多く、足止めも絶えなかったようで。
それに比べ、七里の渡しは、海路の距離こそ長いものの、木曽三川を一挙にクリアしてしまうことで水害の影響を受けにくく、比較的安定性が高く利があったようです。

逆に鉄道は、鈴鹿山系の勾配を嫌って、関ヶ原経由になったとか(東海道に忠実な関西本線は、鈴鹿山地の加太越えを、単線のひ弱な路線で巻いて、どうにか乗り越えています)。
明治時代には、10kmを超えるような長大トンネルは掘れませんでしたから、致し方ないところですね。
リニア中央新幹線が実用化された暁には、現計画では亀山から奈良県へ抜けるので、新名神自動車道に続き旧東海道ルートの採用となりそうです。
(しかし、京はすっ飛ばして、奈良から大阪へ直線で結ぶという…江戸の人が聞いたら、たまげるでしょうねぇ。)

宮宿を後にし、徒歩で熱田伝馬町へ戻り、今度は鳴海宿を目指します。
宮からは陸路が再開し、再びチェックポイントである旧東海道の各宿場町に沿ったルートをとることになります。

宮宿→鳴海宿

さて、路線図から、鳴海を目指すには一度乗り換えが必要になる模様です。
ルートとしては、「神宮12」から「鳴子15」へ、鳴尾車庫で乗り継いでいくのが合理的と判断。
鳴尾車庫はかなり南方ですので、距離が稼げます。

名古屋市を抜け出した後のことは、現段階では情報がなく全く想像がつきません。なるべく早く名古屋を脱出し、見通しを持ちたいところ。

名鉄築港線の東名古屋港駅前を通過
列車ダイヤは僅少なれど、バスは頻発
車窓から鉄道同士の交差点を見る
ここ名鉄築港線と日本で3か所だけ

乗車時間は45分を超え、なかなかの長距離移動です。

終点の鳴尾車庫は、赤いラインの専用車が走る基幹1号や高速1号(現在は廃止)など、変わり種の路線を抱える名古屋市交通局の営業所で、敷地も広大です。

終点に到着
おびただしい量のバス停ポール
出番を待つバスたち

鳴尾からは、鳴子行に乗り、鳴海を目指します。
鳴の付く地名が多くて混乱しますが、鳴海が宮の次の宿場町。
鳴海のあたりからは起伏のある地形で、バスは鳴海城跡の脇をかすめながら、扇川へ向かって下っていきます。

鳴海城跡から、海岸線方面を眺める
名鉄線の高架との間に、鳴海宿跡がある

昔はこのあたりまで海が広がっており、潮騒が聞こえた(海が鳴った)ことから鳴海、と言われているとか。今の風景からは、ちょっと信じられませんが。

40.鳴海宿

本陣1件、脇本陣2件、旅籠68件、人口3,643人。

鳴海宿と池鯉鮒宿の間は距離が長いため、慶長年間に間(あい)の宿・有松が作られた。しかし、鳴海宿との距離が近く、旅籠業だけでは経営難が予想されたため、竹田庄九郎が絞り染めの手ぬぐいを売り出した。これが東海道を行く旅人の間でお土産や奉納品として大ヒットしたことから後に「有松絞」と名付けられ、尾張藩に保護され名産品として育ったという。

有松絞は当時、ここ鳴海と有松だけに生産が許されていたが、特に有松の街並みはうだつが揚がり、なまこ壁の蔵が並ぶなど、往時の繁栄を物語る遺構が多く残されている。

鳴海宿→池鯉鮒宿

鳴海城から見渡すと、どの方角もまだまだ住宅が密集している市街地が続いています。
しかし、市バスの本数は着実に減り、次の徳重行きの出発までは時間が空きます。

鳴海駅の高架が描くカーブが、妙に美しい
鳴海宿周辺は起伏の多い地形

宿場の風情としては、鳴海よりも次の知立までの間の宿である「有松」にこそ色濃く残るようですが、東海道をまっすぐトレースするのは名鉄本線。

東海道沿いのバスルートは、有松までは確実にありますが、地図上ではその先名鉄の線路に並行している路線がありません。
このため、まず北東の徳重方面へ進み、平手で乗り換えて名古屋市バス路線図の南東の果て「藤田医大」を目指し、さらに知立方面行のバスへ乗り継ぐ計画を立てました。
名付けて「鉄道を避けてジグザグ作戦」です。

このバスは本数のわりに混んでいて、本日初めての立ち乗りでした。
鳴海駅を含む緑区周辺は、この後ひと月もしないうちに大きな市バスの路線再編があり、現在は路線網もダイヤも変わっているようです。

名古屋市バスのポールデザイン
こちらは名鉄バス。どっちも赤!

平手からは藤田医大での乗り換えを経て、前後・知立方面へ向かう想像をしていましたが、時刻表を見ると先に名鉄バスの前後行きが来るようです。
方向は間違っていないので、これはラッキー。乗り込むことにします。

金山を出て3時間、ようやく名古屋市を脱出、豊明市に入ります。

巨大なキャンパスを誇る藤田医大の壮大なバスターミナルでは、時間調整のため7分停車。この間に運転手さんに聞き込みをします。

藤田医科大学のバスターミナル
後ろについたバスは、駐車場行のシャトルバス

手短に、バスだけで知立方面へ向かいたい旨を告げると、前後駅から先は、「祐福寺」を経由することで、日進市方面から来る知立行きバスに繋がることを教えてもらえました。

路線バスだけで、という全く面倒な相談にもかかわらず、ちょっぴり笑みを浮かべ、楽しそうに対応ししてくださり、ありがたかったです。
運転手さんや近隣住民の皆さんの親切や厚意に助けられ、支えられている旅路であることを噛みしめます。

丘陵地帯を行く
名鉄バスの座席にはカバーが掛けられ、少しばかり高級感が漂う

藤田医大のあたりからは丘陵地が続いていますが、この近傍に織田と今川が激突した「桶狭間古戦場」があるようです。
この桶狭間は、特定の場所を指しているわけではなく「あたり一帯」ということで、史跡としての公園や石碑は、豊明市内と緑区内の2か所あるようです。

11時過ぎ、ようやく広大な名古屋市を抜け出し、おとなり豊明市にある名鉄前後駅に到着。乗客を降ろし終えた運転手さんは、すぐに車外へ出てバス停の時間を確認してくれました。
しかし、祐福寺方面へ向かう次の便は今から50分後とのこと。

昼食には早い気もするし、名古屋脱出に思いのほか時間がかかったこともあり、直線距離ではあまり進めていません。
ルートも作戦通りとはいえ本当にジグザグで、行った先の祐福寺でスムーズに次へつながるかもわからない。50分待つかは、どうにも微妙なところです。
他にルートはないか、地図とのにらめっこが始まります。

といったところで、前半はこれまで。
後半へ続きます。前後だけに…。

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