7日目-その1 興津宿→由比宿 東海道路線バスの旅(2023年1月6日)

前回は興津宿まで到達しました。

この旅では、愛知県東部から静岡都市圏に入るまで、バス路線がなくて苦労させられっぱなしでした。
ロケーションからして、静岡県の東部も似たような展開が想定され、ある意味最後の鬼門となるでしょう。
そこで、今回は「平日カード」を切ることを早くから決めていました。

興津から先はバスがなさそうなので序盤から歩き、なるべく早く富士川を越え、夕方までには箱根の山へ登りたい。
目標としては箱根辺りまで行きたいが、観光地で宿が高そうなので、時間帯次第では三島に留まるか、小田原まで抜けるか…といったところ。

てなわけで出発は木曜深夜、明日金曜日は会社を休んでの参戦です。

旅の始まりは開放寝台車

サンライズ瀬戸・ノビノビ座席
前回に続き、睡眠時間確保のため京都から三宮まで逆走

再びの静岡遠征ですが、今回もアプローチにはサンライズを選択しました。
しかも、ノビノビ座席です。

この区画は、寝台券が要らないので他の区画に比べると6,000円以上安上がりです。
もちろん個室だった前回よりグレードダウン、扉も仕切りもなくなりましたが、夜行バスと違い完全に横になれるのが嬉しいポイントです。

サンライズも登場から四半世紀が経つ中、後継車両の話が一向に出てきません。このまま最後の寝台特急となると、東海道の旅の選択肢が減ることになります。

とは言え、京阪地区と静岡地区のいわゆる東海道内だけを往復している人間が、東京~山陰・四国を結ぶ壮大なサンライズの座席を占有するのは少し申し訳ない気もします。
このようなアプローチ、この旅ではあと何回必要なのでしょうか?

イメージ的にはフェリーの大部屋ですね
ひと気の少ない富士駅

早朝の富士駅で、後ろ髪引かれる思いで極寒の車外へと踏み出し、反対向きの列車へ乗り継ぎます。
一度通り過ぎた興津駅へ降り立ったのは、5時38分。

興津宿→由比宿

興津駅着

周囲はまだ暗闇に包まれています。
前回終了時は嵐の真っ只中で、集中豪雨からの脱出作戦ではヒヤヒヤしましたが、本日の天候は幸いにして静穏そのもの。明日までずっと好天に恵まれそうな予報です。

念のため興津駅前のバス停を確認しましたが、こんな時間にバスが走っているはずもなく、そもそもこれより東に行く路線がありません。

真っ暗
バス無し!

有無を言わさず徒歩での峠越えです。

途中、駿河健康ランドの明かりが煌々と灯っています。
ここの送迎バスは清水と富士にそれぞれ向かっており、バス旅ルートに組み込むことで徒歩なしで薩埵峠をパスできるのは、界隈(どんな界隈だよ!)では昔から有名な話です。

しかし、送迎バスはあくまでも路線バスではありませんから、風呂に入るとしてもここを妥協する方は少ないようではあります。
(健康ランド送迎バスの話題は見かけるものの、実際に乗って東海道を旅したと言う話をあまり聞かない。)

夜が明けてきた
噂の駿河健康ランド

薩埵峠越え

さて、旧東海道は国道を離れ、山を登り始めます。
今回、旅の記念に夜明けの富士山を拝みたい!という願望がありまして、そのために新幹線やバスでの現地入りを避け、夜行列車を選択しました。
朝焼けの駿河湾を目の当たりにし、胸が高鳴ります。

が…!

あぁ、なんということでしょう。
肝心の展望台へは、昨秋のあの豪雨によって遊歩道が崩壊したために近づけないというではありませんか。
いやいやいや、そんなのってアリか。
悔しい~!

でも、地団駄を踏んでいたって状況は変わりませんので、とにかく前へ進まねば。

いよいよ登山道
階段!

息を切らして階段を登り詰めていくと、数々の看板や石碑と共にに、既視感のある風景が目に飛び込んできます。
ありゃ、ここが峠なのか。

うおおおおおおおおお!!

どうやら、峠と展望台は別の場所のようです。
急に視界が開け、しばし社会科の教科書さながらの映像を目の当たりにしながら歩きます。

峠の碑
振り返れば伊豆半島

薩埵峠は東海道の親不知とか、アキレス腱などと言われ、断崖の峠越えは広重にも描かれています。
江戸期から変わらない富士と海、そして後から付け足された東海道の往来の数々。
国道、鉄道、高速道路。新幹線は山の中を貫いていますが、いや本当に、これぞ「東海道」という絶景です。
どうしても見とれてしまい、写真を撮りつつ、歩みは遅くなります。

峠の碑 Part2
すごいとこ歩いてんな

しばらく進むと通行止めのロープが現れ、迂回区間に突入です。
代替路として示された方向には、谷底に降りていくハシゴのような、とんでもない細道が見えます。
由比はまだ先なので、ここで高度を下げたらまた昇る羽目になりそうですが、従うほかありません。

あ、はい…
え??マジで?

案の定、今まで登ったのがチャラにされそうなほど下りを経て、東名のトンネルの上へ出ました。
そして再び峠道。

アスファルト舗装された急坂を登ると、またまた富士山のお出ましです。
先ほどより日が昇り、富士山の色も藍色から紫色へ、刻一刻と移り変わっています。

ばーーーーーーん!!

いやはや、ドラマチックです。

由比側からなんとか展望台まで回り込み、神々しい朝焼けの富士山を写真に収めることができました。

正直、この時点でかなりバスへの意識がおろそかになっていました。
あまりにも美しく清々しい朝の気配と絶景に心奪われ、我々の胸には、もう「重大な任務をやり遂げた感」が満ち満ちていたのです。

富士と相方とミカン
モノラック

その後も調子に乗って「モノラック」の写真ばかり撮っていましたからね。
モノラック、当地では単にミカンを運搬する器具なのですが、鉄の道そのものであるため、鉄道好きとしてはいちいちハートを掴まれてしまう。

モノラック
モノラック

そして現役のレールもさることながら、打ち捨てられ朽ち果てるのを待つのみの錆びついたレールが放つ哀愁、これがまた堪らない。

で、やらかしました。

由比駅手前2kmほどの倉沢集落に通っているバスを、逃しました。

がーーーーん

望嶽亭近くにある「倉沢漁業事務所」停、只今の時刻は7時33分。
7時29分発の初便が4分前に行ったところで、次は2時間後。

え?本当に?
嘘でしょう!?

モノラックの写真を割愛すれば、全然、間に合ったよね?
アホやーーー!
何しに来てんの、自分。

悔しすぎる!充分乗れた余裕はあったのに!!
相方には謝ることしかできませんでした。

しかし、それもバス旅。
急がなかった自分のミスですから、受け入れて先へ進むほかありません。

官軍に追われる山岡鉄舟が匿われた「望嶽亭」
間の宿・倉沢

旧街道の面影の残る家並みの中を、由比駅へ急ぎます。
バスならものの数分の距離ですが、歩けば20分。
そうこうしている間に、蒲原行のバスが出てしまったら、ショックが大きすぎる。

めちゃくちゃいい雰囲気
お、この店は見覚えがある!

本家、テレビのローカル路線バス乗り継ぎの旅ですっかりおなじみになった、由比駅前の商店が見えてきました。
午前8時を前に、なんとか興津宿からの道のりを歩ききりました。
歩数は既に2万歩に迫る勢いです。

由比駅でバスにありつく

由比駅前にはマイクロバスがバスが2台停まっています。
1台はこれから先の蒲原方面へ向かうバス、もう1台は先ほどの倉沢で乗り逃した「ゆいばす」のようです。
由比駅から由比宿へも、やや距離があります。

ほどなくして、蒲原へ向かうバスが出ると告げられ、ひとまず、由比宿まで乗車することにしました。
これが本日1本目のバスです。

62本目
信興バス 由比・蒲原病院線 蒲原病院 行き

右が蒲原行き
富士山ナンバー

由比駅8:05発→由比本陣公園前8:09着
200円

ちなみに、この路線は平日7本の運転に対して休日はたったの2本、その初便も11時台となかなかシビアなダイヤです。
「ゆいばす」に至っては、曜日指定の運行で、今日はたまたま運行日の金曜と重なり、改めて今日が平日で良かったと思いました。

ま、乗れませんでしたけどね。

由比本陣公園前までは、バスだとたった4分で着きましたが、歩くとかなりタイムロスをしただろうと思います。

16.由比宿

本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠32軒、人口713人。
絶景の薩埵峠を超えた先、桜エビ漁で知られる小さな宿場町。
ちなみに駿河湾の水深は2,500mと日本一深い湾。
復元された本陣の雰囲気は充分。

本陣跡は公園として整備されている
開館中とあるが、門は固く閉ざされている

しかしながら、こんな朝早い時間、近所に時間を潰せる観光スポットやカフェなどはありません。
朝食に由比漁港名物・桜エビ丼など食べられたら幸せでしたが、そんな願いは叶うはずもなく。

次のバスが来るのは1時間後ですが、待ち時間がもったいないのと、それ以上に寒さが厳しくてじっとしているのが辛すぎるため、先に進むこととします。

その2へ続く

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