令和4年台風15号は、9月23日9時に室戸岬の南約300キロで発生後に北東進し、近畿地方や東海地方に接近した後、24日9時に御前崎沖で温帯低気圧に変わりました。
台風のスペックとしては低く、最低気圧は1000hPaを切ることはなく、最大風速も18m/sと、暴風域を持つこともありませんでした。
そもそも発生から24時間後には消滅しており、令和4年に生まれた台風のなかでは最も短命でありました。
東海道バス旅の道中、我々はこの雨が台風由来であることを、ほとんど知らずにいたくらいです。
熱帯低気圧があることは認識していましたが、弱い勢力ゆえ、特にその動向をマークしていませんでした。
多くの方も同様だったと思います。
にもかかわらず。
この台風がもたらした未曽有の大雨は、年末となった今でも静岡愛知両県内の山間部を中心に大きな爪痕を残しており、復旧へ向けた取り組みが続けられるどころか、未だその緒にさえついていない被災ヵ所も存在します。
23日21時40分以降、記録的短時間大雨情報が断続的に計32回も発表され、いくつもの地点で1日の雨量が400mmを超え、平年の9月月間雨量を上回りました。
最大値を記録したのは、あの夕暮れのきらびやかな電飾に彩られた静岡の沿岸部・駿河区で416.5mm。
七夕豪雨と呼ばれ語り継がれた昭和49年7月7日の記録(500mm)に迫る大雨となり、場所によってはそれを上回りました。
静岡市内は市街地に近い山の土砂崩れに伴う送電鉄塔崩壊により12万軒の大停電に見舞われ、清水の町は浄水場の取水口に押し寄せた土石流の影響で長期間の断水に見舞われました。
死者3名、全壊家屋6棟、半壊1,802棟、浸水家屋9,500棟。
あの夜の大雨が、これほどまでの災厄をもたらしたのかと思うと、背筋が寒くなる思いです。
数日前、9月18日に九州から列島を縦断した台風14号は、来襲前から史上最強と恐れられ、鹿児島・宮崎には特別警報が出されたほどですが、実際にはそれほど広域に甚大な被害をもたらすものではなかった、肩透かし感のある経過を辿ったことも、油断を産んんだ気がします。
改めて、被害に遭われた方に心よりお見舞い申しげるとともに、当時、そして今も復旧にたずさわっている方に敬意を表します。
静岡脱出編 Side:A
興津から静岡へ戻る東海道線の電車の中、スマホには静岡県での線状降水帯発生と記録的短時間大雨情報のニュースが入り、東海道新幹線の終日運休が発表されました。
東海道線も豊橋~島田とかなり広範囲で運休となっており、鉄路では実質静岡に閉じ込められてしまったようです。
今のところ、WEBサイトには、夜行バスの運転見合わせの情報はありません。
しかし、避難を促すエリアメールの受信音が、車内のそこここから鳴り響きます。
20時31分、定刻で興津を出た列車は、草薙駅到着時、静岡駅構内へ入る列車が詰まっているため運転見合わせになるとのアナウンスを最後に、動かなくなりました。
ここで、並行して走る静鉄電車への乗り換えを決断します。
そして、静鉄草薙駅で、静岡駅前のホテルへ滞在する相方とはお別れです。
私には「バスを待つ場所」もないので、夜行バスの始発地点、清水駅へ戻ることにしました。
静岡方面へ向かう電車を見送る時、久々に「心細さ」を味わいました。
我々は、それぞれ一人ぼっちになって、無事に京都へたどり着けるのだろうか。
バス旅を終えたのになお、全く先が見えないという状況は初めてです。
「先が見えない状況」には、非日常の楽しさがありますが、それは一定の条件の下に先が見えないから楽しいのであって、危険と隣り合わせのために完全に先が見えないというのは、笑えませんし楽しくもありません。
時刻は21時。降りしきる雨と雷は、止む気配がありません。
雨雲レーダーに関しても、静岡県中西部は真っ赤なまま、ほとんど動きがありません。壊れてしまったのかと思うほど。
こんな状況で、本当に夜行バスは出るのでしょうか。急きょ運休となったら、この天気の中で宿無し確定。
実家の浜松へ戻る足はなく、既に市内のホテルは満室です。
本当にマズいことになりかねない。
しかし、静鉄ホームページや予約メールに記載されている静鉄コールセンターは既に営業時間外。
静鉄電車終点・新清水駅の改札で、バスの運行状況を聞ける宛があるかと尋ねるも、この時間では分からないとの事。
「予約できているなら、出ると思いますけどね…」と言う、駅員氏の回答を信じるほかありません。
半ば祈るような気持ちで、再び新清水駅からバスに乗って清水駅へ移動します。
駅前のローソンで清水駅22時10分発の京都行夜行バスの乗車券を発券しました。
相方と別れてから、本当に運行するのか半信半疑でしたが、いざ紙のチケットを手にすると、不思議と大丈夫な気がしてきました。
同じく駅前の吉野家で遅い夕食にありつきます。
店員のお兄さんは外の天気など知らぬかのように、普段通りの振る舞いです。
清水駅で旅を打ち切って、セノバの上で相方とさわやかのハンバーグを食べていたら、幾分か気持ちが楽だったか。
しかし、私に残された道は、夜行バスに乗ることのみ。
希望の方舟、見参
21時55分。
降りしきる雨の中、ハイデッカータイプの高速バス車両が、清水駅ロータリーに姿を現します。
白く煌々と輝くLEDの行き先表示に「京都・大阪・USJ」の文字が映されると、安堵しました。
ひとまず、何がどうなるかはわからないけれど「今宵の宿」は無事、眼前にやってきました。
運転手さんに挨拶し、三列シート車で大きな窓が独占できるお気に入り席・7Aに収まると、すぐに寝床の準備を開始します。
興津での強行軍のため、下半身はずぶ濡れで不快ですが、昨夜も十分に眠れていない上、今日もたくさん歩きました。
気持ちの上では、すぐに眠りたいと思っています。
しかし、外はあまりの豪雨と稲光で、そう簡単に落ち着けそうにありません。
運転手さんに、先の運行状況を伺いましたが、正直、分からんとのことでした。
引き返すことになるかもしれんし、途中で止まってしまうかもしれないと。
そりゃそうですよね。
運行経路の東名高速道路も、通行止め区間が出始めているとか。
ただ、私としては、ひとまずバスの中でこの一夜、猛烈な雨風が凌げれば死なないと思うので、もうそれだけで十分です。
22時10分。定刻を迎え、バスは運転手さんと私だけを乗せ、静かに清水駅を離れました。
ここから、夕方清水へ向かった北街道を逆向きに走りながら、途中のバス停で客扱いを行っていきます。
しかし、雨はますます激しく、バスの屋根や窓に打ち付けます。
エンジン音よりも、雨音やタイヤが水をはねる音の方が大きい有り様。
おまけに何の前触れもなく盛大な音を立てて避難指示のエリアメールが入り、驚かされます。
こんな状態で寝られるかい!
北街道を西へと進むにつれ、道路が冠水している箇所が増えてきました。
ザブザブザブ!…ゴオオオオォォォザブザブザブ!!
タイヤで波を立てながら走る様子は、もはや船です。
もうあかん、ええ年のオッサンですが、これ一人で後ろに居るのは……怖いわ!!
運転手さん後ろの席へ移ります。
これ、大丈夫ですかね?
いやー、何十年も走ってますが、見たことないです、こんな光景
冠水すごいですね、船みたい!
本当に、すごいですね
バス停にお客さんいるかどうか、もうほとんど見えなくて
私も一緒に確認します!
お話を伺うと、何らかの手違いで持たされた乗客名簿が別日のものだったようで、どこから何人乗るか分からないのだそうで。
なんと、こんな日に限って!
静岡市内でいくつかのバス停がありましたが、道路ごとバス停も冠水しており、ここから乗ってきたら逆に怖いというか、最早無事ではいられないような…そんな状態でした。
誰もいません!
こちらから見ても誰も見えません!
うわーーーー!
うわーーーー!
バシャ!ズバババババババ!!!!
わーーーー!
わーーーー!
ザブ!ザブザブザブザブ!!!!!
もう、笑うしかない。これバスの音やないって。
うおーーーー!
うおーーーー!
新静岡が近くなるにつれて、冠水は少しずつマシになってきました。
しかし、東名高速道路の通行止め区間は掛川~浜松へと拡大しています。
山沿いを行く新東名は、さらに広範囲で通行止めです。
23時、静岡駅に着きました。
ここで1名乗車。
さらに、サラリーマン風の二人組がドア越しに「名古屋へ行きたい」と言っておられましたが、丁重にお断りされていました。
彼らは宿泊難民なのでしょうか。
実際、この日は新幹線沿線で多くの人が足止めを食らい、各地で列車ホテルが続出した模様です。
そんな中、曲がりなりにも動いている交通機関で一夜を明かせるとは、全くの幸運でした。
他のお客さんも乗ってこられたため、こんな時なので何かできそうなことがあれば協力する旨、運転手さんに伝えた後に自席へと戻りました。
嵐の夜に
新静岡では、さらに2名乗車されました。
うち1名の方は予約なしのようでしたが、「何がどうなるか分からん」というレギュレーションを飲み、乗り込んでこられました。
京都へ帰る足を失くしたと仰っていましたので、同士です。
静岡を出ると、東名高速道路へは静岡ICではなく、久能山スマートICから流入しました。
本線上は普通に流れていますが、はっきりと掛川以遠通行止めの表示が見えました。
はぁ…どうなってしまうのか…。
「Welcome to Shizutetsu Express !!」英語放送のテンションがやや高めで、この先の見えない感じとのギャップが大きくて、思わず笑えました。
その後も所々で避難指示をもらいながら、西進していきます。
23時48分、東名吉田BSはインターの外でした。
ここ、今日漏らしそうだった遠州神戸のめっちゃ近くなんですよね。
なんか路線バスで大井川超えたのが、はるか昔の話のような気がするわ。
ちなみにこの日は、大井川を1(サンライズ瀬戸)、2(普通列車)、3(湯日線)、4(島田静波線)、5(藤枝相良線)、6回(今)越えました。
ちなみに、吉田で待ち構えていたお客さん達、「どうなるか分からん」と聞いて、誰も乗ってきませんでした。
みんなあのまま帰ったのかなぁ。
どこへ行くつもりだったのだろう。
つか、あれほどの天候でたった4分遅れなのすごい。
0時を回り、牧之原サービスエリアへ着きました。
幸い、線状降水帯は北へ移動し(それでもまだ、静岡県に居座っている)、付近の雨は小康状態です。
ここ、本日のスタート地点・金谷の近くなんですよ。
朝以来、戻ってきたわけですが、本当、長旅でした…。
ちなみに掛川から通行止め状況は変わらず、一般道へ降りるそうです。
奇しくも、国道1号線走行。きっとバスで通った道も通るんだろうな。
運転手さんにはSAで買ったコーヒーとお菓子を差し入れしましたが、たった一人嵐に立ち向かう運転手に、乗客の立場からできることがなさすぎる!
改めて、バス運転手とは、大変な仕事です。
営業所とは無線で頻繁にやり取りされていましたが、何が起きても最後はたった一人、全て自分の腕で解決しなきゃいけないのだから。
尊敬しかありません。
台風一過
掛川ICでは出口の渋滞が長く、脱出には1時間近くかかりました。
誰もこんなことになるなんて思わないから、バスもトラックも、みんな普段通り出発して、途中で進路を塞がれてしまった状況。やむなし。
掛川からは1号線まで遠いので南方の県道を走ります。
しばらくの間、疲れを通り越えた興奮状態でしたが、このあたりでようやくうとうとし始めました。
ところどころ気が付いた所で見た限り、その後のルートは
その後、5時頃に豊田JCTを通過。
伊勢湾岸道に入り、5時半頃長島で台風一過?の夜明けを迎えています。
途中小休止を挟みながら7時過ぎには草津JCT、そして7時45分、2時間20分ほどの遅れをもって、無事に快晴の京都駅八条口へ到着しました。
降りるとき、運転手さんは、本日始発から静岡県内の一般路線全線が運休になっていることを教えてくれました。
たった一人であの嵐の中、無事京都まで送り届けてくださったことに感謝と敬意を表し、お別れしました。
何度でも言います。ありがとう運転手さん、ありがとう静鉄バス。
見慣れた京都駅を背景に、赤青白のトリコロール・静鉄カラーが輝いて見えました。
これから、子供たちと過ごす日曜日が始まります。
幸運なことに、平和な一日が訪れようとしています。
しかし、帰宅後に、静岡で起きた災禍を知ることになります。