7日目-その2 由比宿→吉原宿 東海道路線バスの旅(2023年1月6日)

由比宿→蒲原宿

隣の蒲原宿は、五十三次の区間距離の中でもかなり短い方で、4kmしかありません。
2日目、庄野宿から石薬師宿でも実施した「バスから歩いて逃げる作戦」の再現です。

国道から格下げされた県道を歩く道中、「イルカスマシ」という看板を掲げた店を発見しました。

イルカは鮮「魚」?
これが例のブツです(許可を得て撮影)

またの名を「蒲原ゴム」と呼ぶ珍味で、イルカのヒレを加工した食べ物なのだそうです。
店主に見せてもらいましたが、袋一杯にたっぷり入って千円。

貴重な食べ物なのに万一口に合わなかったときに捨てるのは忍びないので、手が出せませんでした。
一口だけ食べてみたかったですが。

蒲原の役場(市役所支所)の前を通りかかると、J2落ちの決まったエスパルスの大きな垂れ幕が。
蒲原は清水も含めて合併した静岡市域なので、ホームタウンにあたります。

そして、ちょうどこのあたりが蒲原駅と新蒲原駅の中間にあたりますが、蒲原宿含め、町の中心は東寄りの新蒲原の方なんですよね。

なぜ、あえて蒲原に二つも駅が置かれたかというと、隣の岩淵駅(現富士川駅)が地元の請願により先に開業したため、駅間が短すぎるとして最初の蒲原駅が今の位置に設置されたのです。

でも、不便だから、地元の強い誘致運動によって結局新蒲原駅ができてしまった。
そして案の定、新蒲原駅の方が利用者が多く、今も倍くらいの差があるようです。

時刻表を見て何となく不思議に思っていたことが、歩いて…もとい、路線バスで旅することで一つずつ解決していきます。

15.蒲原宿

本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠72軒、人口2,480人。
静岡県西部・浜松出身の人間として、県中部・東部を分つ富士川は県境のような隔たりを感じる。
川の先は東京電力管内で50Hz、手前は中部電力で60Hz、他にも文化や言語の面で様々に変化がある。
蒲原宿は急流・富士川の渡しを控えた宿場で、川留めになると旅人が溢れ賑わったそう。
ちなみに、旧蒲原町は「LA・LA・LA LOVE SONG」でお馴染み久保田利伸の出身地です。静岡の誇り。

本陣跡
蒲原夜之雪記念碑
広重の描いた蒲原宿

蒲原は、温暖な静岡県の中でも特に降雪が少ない地域で、広重の雪の蒲原は明らかな創作です。
なぜ、よりによって雪と無縁な場所でこんな絵を描いたのか不思議ですが、ここから富士山を仰ぎ見れば、確かに雪が見えるんですよね。

あの雪をいただいた富士山の雄姿から、インスピレーションを得てしまったんでしょうね。

蒲原宿→吉原宿

63本目
信興バス 由比・蒲原病院線 蒲原病院 行き

新蒲原駅9:28発→蒲原病院9:33着
200円

さて、再びの信興バス、先ほどと同じ運転手さんは「歩かれたんですか!?」と驚いていました。
バスで旅していることはお伝えしていたのですが、そういう人は通常バスが目当てなので、バスがあるのにあえて歩かないですよね。
我ながら不審者だ…。

富士山が正面に見えてきた
国道を外れ、少し山を登ると終点の蒲原病院

蒲原病院からは、富士市方面へ進みたいところですが、バス停にある行先は富士宮駅のみ。
しかも、運行事業者は山梨交通。静岡県内なのに、山梨のバス会社がテリトリーを持っているのは意外です。

相方とは富士駅を目指して、最短の富士川橋のたもとで下車し、歩いて渡河する作戦を立てました。
ただ、本音を言うと今日は早朝から相当歩いていますので、休憩し、体力の温存をしたい。

参考までに、運転手さんに富士宮駅までの所要時間を尋ねると45分とのことで、意外に早い。
しかも、地図を見る限り、富士宮から富士駅や吉原駅へはバスが繋がっていそう。

相方には、歩いてあるか分からないバスを探すよりは、確実に乗って繋がるルートを取りたい旨進言し、受け入れてもらいました。

64本目
山梨交通 富士宮駅~蒲原病院線 富士宮駅 行き

ソーシャルディスタンスのために運転手後席に乗っているプーさんがかわいい

蒲原病院9:45発→富士宮駅10:32着
750円

さて、東海道路線バスの旅で山梨交通さんのお世話になるとは予想外です。

富士川に沿って北上
山交のオリジナル塗色は「国際興業カラー」

右側の車窓には、ずっと富士山が見えています。
日常でこのバスに乗る方は、いつもこの車窓を眺めているのかと思うと、なかなか贅沢ですよね。

ただ、それは毎日京都市内をバス通勤しつつ、山紫水明の鴨川を渡り、清水寺の脇をかすめている私にも言えることかもしれない。

バスは予定にはなかった富士宮市に入ります。

富士と富士宮は似ていますが別の顔を持つ街です。
富士市はやはり工業都市、市街地に製紙工場の煙突が立ち並ぶ。人口は25万人。
富士宮市は富士山の玄関口としての観光の街、そして富士市のベッドタウン。あと、焼きそば。人口は13万人。

独特な2桁の運賃表示とハートの吊り輪(左)
市街地に入った

さて、富士宮に降り立つと、富士市方面へ向かうバスは多数運行されているようで、最初に来たバスの行先表示は吉原駅経由富士駅行。

おお!

ずいぶんレトロな外観で、いすゞのジャーニーKという車種、20年以上前の中型バスです。

飛び乗っても良かったんですが、相方が時刻を見に行っていたのでパス。
レトロと言いつつ、まぁ平成前期のクルマですから、そんなに大昔というほどでもないんですけどね。
頑丈な鉄道車両なら、50年60年選手だってざらです。

ただ最近は平成レトロという言葉もありますから、化石か何かの昭和世代には立つ瀬がありません。

65本目
富士急静岡バス 大月線 吉原中央駅 行き

はるばる京都から来た人間が、知らん街で京都と大書されたバスに吸い込まれるのはなかなかシュール

富士宮駅10:45発→吉原中央駅11:10着
500円

東海道筋への復帰を目指し、吉原中央駅行へ乗車します。
ただ、地図を見ていて、JRにも岳南鉄道にも「そんな駅」はないんですよね。
どの辺なんだろう?

車窓は富士宮までのローカル線然としたものとは打って変わって、市街地です。
アクセントは徐々に遠くなる富士山。

見え隠れ
独特な座席配置

この富士宮~富士間のバス路線名が「大月線」で、まさか最盛期は山梨県は長躯大月まで結んでいたのか?と一瞬思いましたが、そんなわけはなく単に国道139号(旧道含む)を大月街道・大月線と呼んでおり、その経路を取るだけのようです。

ちなみに、富士宮から富士山駅(河口湖)まではバスで抜けられるようです。
十分、長距離路線ですね!

終点の吉原中央駅は、まさかの「バス駅」でした。

鉄道が無くても駅を名乗るバス停は国鉄バス・JRバスでよく見られますが、ここはJR線とは縁のない富士急バスのターミナル。
国鉄富士駅からの連絡切符を扱っていた名残のようです。

また、元々の名は「吉原市駅」で、吉原市が富士市に吸収合併されてしまったことから後年改称されたようです。
「市駅」という表現は西日本に多く見られますが、静岡県内にもあったとは、少々意外です。

駅舎内はLCDで発車案内
東へ行くバスは少ない!

気になる次の原宿方面・東田子の浦行きのバスは極端に本数が少なく、1時間以上空きます。
しかも、土日は運休。
またしても平日カードの効果が存分に発揮されました。

14.吉原宿

本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠60軒、人口2,832人。
田子の浦 ゆうち出でてみればま白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける
万葉集に歌われる優美な歌とは裏腹に、現代の富士は豊富な富士山の湧水を活かして栄えた製紙工場の煙突がそびえる、紙の街。
さらに、田子の浦港の整備を契機に、輸送機器、化学、食品と言った工場群が集積し、県内でも有数の工業都市として発展しました。
吉原を走る岳南電車では、灯りを消した電車の窓から工場夜景を眺めるツアーを実施しているようです。

吉原商店街
下本陣跡

その3へ続く

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