前回より2カ月ほど空きましたが、関宿から再開です。
夜間の鈴鹿峠越えなど、若干無茶な行程でしたが、その甲斐もあり三重県からのスタートです。
例によって旅行当日はtwitterでの実況を行っていますが、今回は短時間での乗り継ぎが続いて忙しかったため、記事にてゆっくり振り返ろうと思います。
関宿ふたたび
京都駅を5時47分に発ち、草津駅で6時16分、始発の草津線柘植行に乗り換え。
柘植からは関西本線のディーゼルカーに揺られ7時28分、関駅着。
あの晩秋の夜の闘いは記憶に新しいところですが、今日は明るく、さわやかに晴れ渡っております。
真っ暗だった宿場探訪を再び。
関宿は旧東海道唯一の重要伝統的建造物群保存地区で、電柱もない町並みは往年の雰囲気を色濃く残しています。
…ということが、ちゃんと目視確認できました。
他府県民にはあまり知名度がない関宿ですが、目の当たりにするとそのスケールに驚きます。
間違いなく、旧東海道を巡る旅のハイライトだと思います。
なお、バス出発待ちの間、関支所近くをウロウロしているときに山車をしまってある倉庫を発見しました。
まさかこれが慣用句「~も関の山(せきのやま)」の語源、即ち「これ以上立派な山車はない」が転じて「これが精一杯/限度」を意味するようになったとは思いもよらず。写真撮っておけば良かったな…。
関宿→亀山宿
この日の行程、特に前半はあまりルートの選択肢がなく、悩んだり迷ったりする余地もないまま、淡々と東進していくこととなります。
関からのバスは亀山駅へ寄らないため、念のため終点から駅方面への接続を確認すると「すぐにあります」とのこと。大船(おおバス?)に乗った気分で、安心してバスに揺られます。
関支所からのバスは、我々のほかに1名の乗客を乗せ、関町内を巡ります。
宿場内の狭い道も通って、今朝降り立った関駅を経由。
このバス、実は坂下宿始発の、本当は乗りたいけど乗れなかった因縁の路線でもあります。
東名阪道亀山インターを過ぎると、国道1号線には入らずに、うねうね、くねくね。
最後はバイパスの細い側道に入りこんだのも束の間、医療センター、次いで終点の市総合保健福祉センター(あいあい)へ到着。
ここには種々のコミュニティバスが集まってきており、バス停をぱっと見ただけでは全容が掴めませんが、とりあえず4分後に亀山駅へ向かうバスがある模様。
「東丸」という、いかにも城下町らしいバス停が本陣跡に最寄りなので、駅まで行かず6分ほどで下車します。
亀山宿の樋口本陣跡は、関宿から来ると拍子抜けするほど周囲に旧街道の面影がありません。
あるいは亀山城跡の方へ向かえば違うのかもしれませんが、先を急ぎます。
あくまで、本陣跡を押さえつつ、路線バスを繋いでいくのがこのゲーム旅の趣旨です。
写真を撮り終え、歩き出した頃に通りかかった野球少年が「おはようございます!」と大きな声であいさつしてくれました。京都市内ではまずないので、こういう体験はすごく嬉しい。
亀山宿→庄野宿
亀山から先は、目星がついていません。
亀山を抜けるバス路線は、道路地図を見る限り、北東へ向かうか、南東へ向かうか。
いずれにしても、「平田町(鈴鹿市)」方面を目指すことになりそうです。
なお、樋口本陣跡最寄りの「広場前」バス停は、市内を回るコミュニティバスしかありませんでした。
いちかばちか、最短距離で平田町に向かう方角・北東の「東台」バス停へ向かって進みます。
すると、あった!三重交通のバス停。
遠目にも、バス停標柱が先ほどのコミュニティバスとは違うことが分かります。
時刻表を見て、思わずガッツポーズ!
なんと、「庄野橋」を通る平田町行き。
乗換なしで、次の宿場「庄野宿」へ直行です!
地図では、庄野橋から四日市方面に向かうバスがありそうなので、平田町への寄り道がカットできます。
これは嬉しい誤算だ。
ここで少し時間が空くので、コンビニにでも寄りたい気分。
始発の列車移動で、朝食がとれていませんでした。
最近、駅構内のコンビニも、開くのが遅いですからね。
ところが、亀山市のこの辺りは、コンビニ空白地帯。
駅まで戻って次発の便に乗れなくなるのもマズいので、少し先に進むことにしました。
スーパーで腹ごしらえを済ませ、満を持して貴重なバスを迎えます。
お世話になった「マックスバリュ」はイオン系列のスーパーですが、イオンとその前身のジャスコ、源流は四日市の「岡田屋」なので、発祥の地はここ、三重県です。
だから先代社長(現会長)は創業家出身の岡田さん。
それにしても、調子が良すぎて疑心暗鬼、と言うのも妙な話ですね。
路線バスの旅は何度もしてきていますが、事前にダイヤを調べない限り、うまく乗り継げるか否かは全て「確率論」の世界です。
むろん、今日、事前に時刻が分かっているのは始発の関発の一本のみですから、全てが行き当たりばったり。
そんな中、2時間に1本しかない、しかも目的地直行のバスにスムーズに遭遇できるのは、奇跡に近いです。
だからこそ、こうした「幸先の良さ」は、くじかれるに決まっている。
そう思い込むことで、やがて「高い確率で直面する厳しい現実」を受け止める心の準備をしているのです…苦笑
それはそうと、このバスがとても面白い路線で、途中から旧東海道を走りました。
当然、旧道は非常に狭いのですが、道幅いっぱいの路線バスが細い路地に突っ込んでいくのは毎度、痛快です。
旧東海道の地図本を片手に「おお、ここが」「ああ、これが」と、確認しながら進みます。
庄野橋バス停を前に、四日市方面行きのバスの存在について運転手氏に尋ねると、確かに、来ているとの返答。
同時に「本数が少ない」という不穏な情報がもたらされる。
「(時間は)ネットかなんかで調べてくれたら…あと、バス停の位置が違うから、気を付けてね!」とのこと。
「ネットかなんかで調べられない勝手な事情」を説明しても仕方ないので、とりあえず乗換え先のバス停へ急行。
次の石薬師宿方面・四日市行は2時間に1本の運転間隔で、次発は50分後。
庄野宿から石薬師宿までの徒歩移動を決断します。
というのも、両宿場間は、東海道五十三次の区間距離の中でもかなり短く3km程しかありません。
決してバスに乗れなくはありませんが、石薬師宿で2時間の待ちぼうけは、避けたいです。
ちなみに、同じ会社(三重交通)なのに、営業所の管轄が違うと時刻表のデザインも違うのが興味深いところ…。
庄野宿→石薬師宿
庄野宿を抜けると、国道1号線を歩きます。
この間、Twitterでフォローしている街道歩きの大先輩に遭遇。
「歩き勢」の皆さんに比べれば、我々の路線バスの旅の苦労など、大したことないよな、と思います。
同じ街道趣味ですが、視点も、速度も、見える風景も、きっと違います。
でも、それがまた良いのだと思います。天下の東海道、いろんな楽しみ方があります。
一つ言えるのは、路線バス勢は、とってもマイナーな存在であろうという事…!
石薬師宿跡での滞在もそこそこに、最寄りの「佐々木記念館前」バス停へ急ぎます。
なにしろ、こう資料館とか、茶屋とかカフェとか、およそ立ち寄り観光できそうなところは片っ端からスルーせざるを得ないのが「ローカル路線バス乗り継ぎの旅の流儀(?)」です。
1分に泣き、1分に笑う旅路なのです。
(その割に遅々として進まない矛盾)
石薬師宿→四日市宿
石薬師宿の最寄り停留所が「佐々木記念館前」で、四日市側に一つ進んだ停留所が「石薬師」なのは、石薬師という宿場名が、もともと当地にあった「石薬師寺」にちなんで名づけられたためです。
「石薬師」の次のバス停は、「自由が丘」…え?東京?東急線??
で、ちょっと調べると、自由が丘、全国にめっちゃあるんですね!!
全国の自由が丘出身者を一堂に会してミーティングとかしてみたい。
自由が丘全国大会で競う、本邦で一番自由な丘はここだ!選手権とか。
などと、どうでもいい妄想を膨らませていたら「杖突坂」や「日永の追分」など、旧東海道の重要スポットを見逃しました。
11時半前、近鉄四日市駅に到着。
正直、ここまで来れるのは昼過ぎ(そして、悲観的シナリオでゴールは桑名あたり?)だと思っていたので、あまりにもスムーズに乗り継げたことに対し、驚きを禁じ得ません。
さて、次に乗車するバスについて、駅頭の路線図と照らし合わせて見ると案の定、旧東海道経由(富田方面)は繋がっていません。
手持ちの道路地図を見ても、両市の間でバス路線を示す赤い点線が交錯するのは「伊坂台」というニュータウンと「桑名西高校」のみ。
15年ほど前にこの地を抜けたときは「伊坂台」を経由しましたが、その頃の路線が今もあるかは未知です。
ひとまず四日市桑名間は、一旦三重交通の路線を離れ、市北西部へ向かう三岐鉄道バスの山城駅行きが妥当、という判断と相成りました。
して、次のバスはまたもや待ち時間がほとんどなく、10分後の11時35分!
四日市駅から四日市宿跡までの間は1km少々離れており、10分で戻るのは不可能。
しばしの間、チェックポイント撮影兼、昼食タイムといたしました。
バス旅でちゃんとした昼食休憩があるなんて!
ここまで旅程も順調で、テンションも上がります!!
四日市は、通ったことは何度もありますが、降り立つ機会は稀です。
ましてや、駅前の商店街を歩くのは初めて。
昭和の残り香が感じられるアーケードを抜け、昭和の空気たっぷりの中華食堂で、昭和の味がするカレー天津飯をいただきます。
すっかり英気を養い、鬼門の「バスによる四日市桑名連絡」へ挑みます。
全然繋がらないかもしれないという、一抹の不安を抱えながら。
[…] 前編(関宿→四日市宿)はこちらから […]