3日目-その1 姫路駅→相生市境 山陽道路線バスの旅(2023年8月19日)

姫路駅→鵤宿

夏のバス旅は過酷だと、あれほど言っていたのに、ひと月で姫路へと戻ってまいりました。

というのも、運輸業界は2024年春からの法令により、運転手さんの勤務間インターバル規制が厳しくなる関係で、現行ダイヤの維持は折からの人手不足も併せて考えると絶望的であるとの見通しが盛んに喧伝されるようになりまして。

こりゃ我々の旅にも少なからず影響を及ぼしそうだと、なれば路線の廃止ラッシュに見舞われる前に、なるべく遠くまで進んでしまった方がよいのではないかと、こんな議論があったのです。

朝食は「えきそば」リターンズ!
お城をバックに走るバス達

実際のところは分かりませんし、既にバスが少なくて毎回ピンチに直面しているのは事実ですので、残暑をおしての西進を試みます。

1本目(通算26本目)
神姫バス 39系統 龍野 行き

姫路駅北口 9:10発→鵤 9:40着
530円

1本目は前回ゴール時点で調べてありました。
この時間のバスは始発ではなく、2本目。始発は7時25分で、京都からだと新幹線なら間に合いますが、在来線では始発で出ても届かない時間帯です。

今回は、先の遠征費を貯めるために在来線で来ましたが、この「その気になってお金を払えば乗れた」1本に乗らなかった代償が、どのような結果をもたらすのか。

これは、後から分かります……。

バスは姫路市内を西へ向けて走ります。
途中は広い道ながら一方通行となっており、4車線すべてが同じ方向へ向かって走っているのは御堂筋と並んで珍しい光景かもしれません。

この区間、下りは県道414号、上りはなんと国道2号で、同様に東行きの一方通行です。

どことなくレトロな車内
レトロな広告付き押しボタン

30分ほどで太子町の中心地・鵤(いかるが)に到着します。
「いかるが」と言えば、奈良の斑鳩ですが、ここは聖徳太子が推古天皇に賜った「法隆寺領鵤荘」として栄えた地で、町名の太子はもちろん聖徳太子にちなんでいます。

姫路市と合併せずに生き残っているのは、町内に東芝の工場やJRの網干車両基地があるため、比較的財政が潤っていたのもあったようです。もっとも、その東芝によって計画されていた新たなディスプレイ工場は、韓国メーカーとの競争に破れ頓挫してしまったのですが。

12.斑鳩宿(いかるが)

斑鳩寺の門前に本陣が置かれたが、問屋場はなく人馬の継立てはできなかったそう。
西国街道と龍野へ向かう街道との交点で、宿場町として栄えた。

近くの斑鳩寺は、鵤荘の中核として聖徳太子が創建したと伝わっているが、1541年に全て焼失し、現在も残る建物はその後に再建されたもの。
三重塔は1565年の建立で国指定文化財。荘厳な境内には思わず「奈良」を感じてしまう。

鵤宿→正條宿

山陽道の次の宿場は「正條(しょうじょう)」、JR山陽本線・竜野駅の近くで、行政区としてはたつの市揖保川町です。

鵤から西へ向かうバスの行先も龍野ですが、しかしバスの「龍野」は姫新線本竜野駅の近く、方角的には北西の龍野城の城下へ向かいます。

たつの市は揖保川町と龍野町、新宮町が合併してできた町で、旧町の中心が点在しているために、「たつの」を冠する駅ももあっちこっちに散らかって、ややこしくなっています。

ひとまず、鵤からは一旦「龍野」を経由して「竜野駅」へ向かうしかなさそうです。

2本目(通算27本目)
神姫バス 山崎 行き

系統番号はなし
このカラーコードは、阪急バスからの中古車で間違いなし

鵤 10:17発→龍野橋東詰 10:26着
250円

地図を見ていると、終点まで行かずとも、手前の龍野橋のあたりで龍野から竜野駅方面へ向かうバスが来そうな気配があります。
ここはショートカットできるかもしれませんので、降りてみることにします。

気になる時刻表は…と思ってバス停をのぞく間もなく、交差点から小さなバスがこちらに向かって曲がってきました。

3本目(通算28本目)
たつの市コミュニティバス 日山ルート 新舞子 行き

龍野橋東詰 10:29発→山津屋北 10:47着
100円

わずか1分での乗り継ぎ、しかも、定刻だと乗り継げていたかも怪しいミラクルが起きました。
う~ん、今日もツイてる予感?ここのところ、毎回午前中は調子がいいんです。

午前中は、ね……。

駅の一つ先、本陣跡の目と鼻の先まで乗ってラッキーバスを降りました。
宿場跡、そして揖保川の渡し場の跡が残っているそうなので、川べりを目指します。

13.正條宿(しょうじょう)

海路で室津に上陸した人々が山陽道に合流する場所であるため、当時はたいそう賑わったそう。
すぐ東側の揖保川には橋がなく、渡し場には数本のムクの大木が繁り、当時の風情を残しているそう。
なお、参勤交代の諸大名は、江戸への上りは手前の片島宿で宿泊し、下りの時のみ正條に泊またっとのこと。
東海道の御油・赤坂の関係ですね。

本陣跡
右・・・かうべ(神戸)? 左・・・山さき?
苦労した川越えはいま新幹線で一瞬

この渡し場のある川べりには独特な形の柵が立っていますが、欄干に刻まれた溝には畳がぴったり収まり、増水の際には近所の人々が総出で畳をセットして街を守るのだとか。畳堤(たたみてい)と呼ぶそうです。

正條宿→片島宿→相生駅

ここから次の片島宿は2kmほどで近く、バスもないので歩いていきます。
夏の日差しが照り付けますが、交通量も少ない田んぼ沿いの道を気持ちよく進んでいきます。

徐々に両側から山が迫ってくる
道すがらの米穀店の軒先には「揖保乃糸」の木箱が

時折、並行する山陽本線の線路を貨物列車が通り過ぎていきます。
京阪神近郊とは言え、このあたりはもう兵庫県の端に近く、この区間の旅客列車は山陽本線といえど、1時間に1本しかありません。

14.片島宿(かたしま)

もとは「原八軒」と呼ばれるほど小さな集落であったのだが、龍野藩によって宿場町として整備され、いつしか「原八丁」と呼ばれるほど栄えたのも今は昔。
現代の片島は再び静かな農村地帯となっており、旧本陣跡を示す石碑が記憶を留めていた。

さて、次は相生を通り超えて有年宿です。
まだ昼前ですから、時間は十分にあります。

しかし、バスは全くありません。
相生駅へ向かうバスを途中で拾えると嬉しいのですが、しばらく歩くしかなさそうです。

気付けば、加古川~姫路、竜野~相生と、県境どころか市境をまたぐバスがなくなってきています。
この調子で、この後に控える兵庫~岡山の県境は大丈夫なんでしょうか。

有年~三石の間は、峠を二つ挟んでかなりの距離があるようですから、心配です。
できれば今日中に岡山県入りを果たしたいところなのですが。

この間、南側には斜面が迫り、時折トンネルから新幹線が顔を出します。
ああ、あれに乗ればものの十数分で岡山なのに、と幾度となく思いつつ、歩みを進めていきます。
地図上では相生市に入ったでしょうか。
旧山陽道は国道でも県道でもありませんので、特に何の標識もありません。

目についた石碑に彫られた「河本光先生」は、自民党の実力者・河本敏夫氏の父とのこと
街道は新幹線の高架を潜り、進む

家々が建て込んできて、ちょっとした集落に入り、地図上ではバス停が書かれている那波野地区に入りました。
郵便局の前に、バス停を発見!
気になる時刻は…

その2へつづく

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