8日目-その4 保土ヶ谷宿→品川宿 東海道路線バスの旅(2023年1月7日)

その3からの続き

横浜駅

ひとまず、川崎へ向かうための情報収集をしつつ、神奈川宿へ向かいます。

横浜駅は、新幹線こそ乗り入れていませんが各線が集中する巨大ターミナルで、一段と多い人の量に圧倒されます。
バスターミナルの大きさも超弩級、東口だけで実に24か所の乗り場があります。

駅前地下街の名「ポルタ」は京都と同じ
すごい数…

一応市バスの路線図もいただいたのですが、意外にもあっさりと川崎駅行きを見つけました。
その上、ちょうど川崎行きが入ってきましたが、まだ我々は神奈川宿へ訪問できていません。
駅から歩くと時間をロスしそうなくらいには離れているので、1区間だけ乗っていくことにしました。

83本目
横浜市交通局 7系統 川崎駅西口 行き

横浜駅東口14:55発→青木橋14:58着
220円

横浜市バスは初乗車
バスターミナルから脱出

すぐ隣の青木橋で下車して、神奈川宿へ向かいます。
大きな駅は抜け出すだけでも一苦労なので、助かりました。

なんて、数時間に1本しかない貴重なバスならば、この状況は悶絶していたと思うのです。
せっかく乗れたのに、宿場ミッションなんか入れたせいでみすみす降りる羽目に…!という具合に。

ところが、首都圏に入ってからと言うもの、基本的にバスは次から次へやって来ます。
正直1本2本逃したところで、大勢に影響がないこの緊張感のなさ。
イージーモード。
滋賀や愛知や静岡で、たった1本のバスを手繰り寄せるため、死に物狂いで進んでいた自分に見せてやりたい。
それでも一応次のバスの発車時刻は確認して、いざ神奈川宿跡へ。

3.神奈川宿

本陣2軒、旅籠58軒、人口5,793人。
横浜が開港された時、神奈川宿近辺の寺院の多くは外国大使公邸として徴用されたようです。
神奈川県が「横浜」県でなく「神奈川」県なのは、古くから発展していた神奈川宿や神奈川湊に由来することは想像に難くありませんが、今では横浜市の神奈川区と、神奈川の地名は横浜に呑み込まれてしまったかのようです。

神奈川町本陣跡
洲崎神社

神奈川宿→川崎宿

いよいよ距離表示にも「東京」の文字が見えてきました。
きっとあの距離は日本橋起点ですよね。

滝の川
宿場最寄りバス停の本数はごく僅か

そう言えば、あまりにバスが繋がるのでまた昼食のタイミングを逃しました。
行動食として買っておいたおにぎりを頬張ります。

青木橋、右側は京急神奈川駅
だいぶ日が傾いてきた

青木橋に戻ってバス待ち。
次々にやってくる横浜市営バスは皆、ベージュの車体に水色の帯を巻いています。

港町らしくて爽やかですが、1928年に14人乗りのA型フォードを導入した当時から、ずっと同じ色をまとってきたというから驚きです。
顔のラインはYの字をイメージしているそうですが、ちょっと言われな分からん感じですね。

84本目
横浜市交通局 7系統 川崎駅西口 行き

青木橋15:33発→川崎駅西口16:34着
220円

再び川崎駅西口行きに乗車します。

バスは引き続き国道1号線を走りますが、旧東海道をトレースするのは国道15号に変わります。
よって街道の遺構などを見ることはできませんが、ひとまずここまで来たらゴールしたい気持ちが強くなってきました。
日没まではあと1時間、最終の新幹線までにはあと5時間ほどあります。

途中、鶴見川の手前で病院の裏手へ入っていき、下末吉公園口でひと休み。

この旅ではこういう、新幹線では絶対に寄らない、見られないところをいっぱい見てきたな…
夕暮れの街並みを眺め、少しセンチメンタルな気分に浸ります。

鶴見川

見慣れないトリコロールカラーの臨港バスとすれ違うようになると、いよいよ川崎市域へ突入。

横浜市営バスなのに、川崎市内に乗り込んでいくスタイルはなかなか面白いと思いきや、川崎市営バスにも、横浜市内に乗り入れている路線がある模様。

臨港バス
川崎市バスは青と白のツートンカラー

ちなみに横浜市バスの運賃は通常220円のところ、川崎市内停留所相互の乗車なら川崎市営バスに合わせる形で、210円だったようです。

ところが、川崎側が10円上げたタイミングで横浜市の運賃と揃ってしまったことから特例終了。
横浜市営バスも全線で220円に統一されました。
なかなか細かくて、フェアなんですね。

青木橋からちょうど1時間ほどかけて、川崎駅に降り立ちました。

駅を抜け、繁華街を歩きます
この道が旧東海道
2.川崎宿

本陣2軒、旅籠72軒、人口2,433人。
貞享年間に多摩川に架かる六郷大橋が流失した。
その後多摩川に橋がかからなかったのは、川崎宿本陣を勤めた田中休愚が江戸防衛を理由として舟渡しの権利を得たから、という旅人目線では胸糞悪い話を読んだ。
それよりも名前だ。休愚(きゅうぐ)て、なぜそうなった。
ちなみに超優秀な方です。
江戸から近すぎて、本陣経営が成り立たなかったから、窮余の策として渡しの権利を得たのです。

佐藤本陣跡
広重の描いた川崎

川崎宿→品川宿

川崎も大きい街で…とアホの一つ覚えのように言っていますが、実はここからは相方の単身赴任時代の生活圏内に入ります。
彼は川崎から東急バスで五反田まで一直線であることを知っており、スムーズに乗り場へ到達しました。

例え水先案内人がいなくとも、五反田は山手線の駅名ですから、我らなら迷わず飛びついたとは思いますが。
これでバスによる県境越えも確定です。

本当に、今日着いちゃうね!日本橋。

85本目
東急バス 反01 五反田駅 行き

川崎駅ラゾーナ広場16:58発→五反田駅17:48着
270円

初の東急バス。
銀色に赤のラインがいかにも東急電車のイメージです。

それにしても五反田行き、凄い本数が走っています。

なんだろうなぁ、この緊張感のなさ。
ええんやけど、ええんやけど…何も起きないから、どこか物足りない 苦笑

行列
東急グループのマーク

そして、本数が多いにもかかわらず、乗り場には長い列。
立ち客大勢で出発しました。

今日も夕暮れの時間になりました。

しかし、昨日は寂しい箱根の山中、今日は明るい大都会。
昨日はまだ先が読めない高揚感がありましたが、今は旅が終わってしまう寂しさが膨らんできています。
なんとしてもゴールしてやる!という気持ちと、なんとなく終わりたくない、それが故にどこかでつまづいてほしい気持ち。

いろんな気持ちがごちゃごちゃ混ざり合っているのを認めながら、車窓を眺めます。
夕暮れの多摩川を渡り、最後の都道府県・東京都に突入。

この東急バス反01は結構ややこしく、前乗り車のくせに区間により運賃が変わります。
そのため、乗車時に運転手さんに行き先を告げ、運賃箱にセットしてもらってからICカードをかざす手間がかかります。

これ、自分が外国人だったら詰むやつだな。

そうこうしているうちに着々とバスは進み、50分かけて完全に日の暮れた五反田に着きました。

我らは品川宿に行かなければなりませんが、すぐ後ろに「品川駅経由六本木ヒルズ行き」の都バスが現れました。
もう、なんというか、バスに運ばれている気分です。
これは、あまりにも順調すぎて怖くなった、2日目で味わった感覚。

天は今日中に我らを日本橋へ送り届け給うつもりのようです。

86本目
東京都営バス 反96 六本木ヒルズ 行き

五反田駅17:56発→八ツ山橋18:00着
210円

品川駅と品川宿はかなり離れているため、駅手前の八ツ山橋で降りて歩きます。
ビル街から除く満月が神々しい。

旧東海道は商店街になっており、小奇麗な街並みが続きます。

1.品川宿

本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠93軒、人口6,890人。
江戸の玄関口。
今の東京の規模からすれば都心だが、関西人が新幹線で来て総武線や渋谷方面へ行くなら品川で降りるため玄関口の役割は続いている。
地名の由来は、目黒川の古名説、風光明眉な品良き土地ゆえ高輪に対して品ヶ輪と名づけた説、領主の品川説等様々。

本陣跡
碑は放置自転車に埋もれる

品川の本陣跡碑の光景には、なんだか笑ってしまいました。

宿場町であったことが地域の大切なアイデンティティであり、誇りである町がある一方で、品川のように「そう言えばそうだった」といった感じになっているのもまたリアルで良いなと。

現代日本の宿場を旅する東海道五十三次路線バスの旅、これにて53全ての宿場探訪を終えました。
次に向かうは、いよいよゴール地点の日本橋です。

その5へ続く

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