有年宿→赤穂市街

はい、ケチらず新幹線と山陽本線を乗り継いで、前回惨敗を喫した有年の地へ舞い戻りました。
本日は2023年9月18日、月曜日で敬老の日!
今日こそ張り切ってレッツ県境越え!!目指せ岡山宿!
新幹線に乗ってサクッと帰ってやる!妙にテンションも高めです!!


というわけで時刻は7時前。
また接続が悪いんだ。国道から一本入った農協の裏で30分バス待ちするおじさん2人は怪しい絵面だろ。
とは言え、仕方ありません。
バスの名前は「ゆらのすけ」。
この一本にかける意気込みはもう、これまでとは全く違います。
あの灼熱の宮前での屈辱から、早晩この仇討ちを決めてやると心に誓い、用もないのにその辺のバス停の時刻表を確認してみたり、カッコよくバスの写真を撮ったりして日々鍛錬に励んできました。


おのれ、ゆらのすけ!覚悟しろ!
ここは仇討ちの聖地(違う)赤穂じゃ!
討ち入りじゃ~~!
1本目(通算32本目)
赤穂市コミュニティバス(ウイング神姫受託)
ゆらのすけ南北ルートA 播州赤穂駅 行き

JA有年 8:01発→イオン赤穂店 8:31着
100円
やっぱ素晴らしいわ、バス。

だって、ただ座っているだけなのに、有年橋を超えて、有年宿の幅の広い街道筋を抜け、宮前交差点を曲がる。
あのクソ暑い夕日に浮かぶ恨めしき備播(びばん)国境の山々が、今朝は朝日に照らされて美しく、たいへん好意的に我らを迎えてくれています。


千種川に沿って海へ向かって狭い裏道ばかり選んでいますが、バスは少しずつ南下していきます。
有年とこれから向かう赤穂の中心部は同じ赤穂市内ですが、電車だと一旦お隣の相生市の相生駅を通って乗り換えないといけません。
バスなら(本数はともかく)乗換も待ち時間もなく直行するので、それなりに便利。
故に、あちこちの村落からそれなりに乗客を集めて走ること30分、最終的に10名余りを伴って無事、イオン赤穂に到着しました。
只今の時刻は8時30分。

車中での我々はというと、前回16時に出たという県境を越えて吉永へ行くバスの、朝便?昼便?の時間を知らないままだったので、ダイヤ予想クイズで盛り上がっていました。

行先が吉永「病院」なので、病院の受付開始に合わせて向かうよね、ならば9時頃現地に着くように出ていくか?
それならこの「ゆらのすけ」と接続は取るだろう、イオンでもう出て行った、という最悪の展開は考えにくいのでは?
そもそも16時に吉永へ向かうバスは、その日のうちに赤穂へ帰ってくるのか?もし吉永に車庫があるなら、朝吉永を出て赤穂で折り返すのは10時頃?
このような予想を踏まえ、戦々恐々としてバス停をのぞき込みます。
あれ???

まず、吉永行の初便は12時です。
12時!まだ1本しか乗ってないのに、3時間半の待ち時間が確定!
はいもう、さっそく岡山宿入り怪しい~!
暗雲モリモリ~~!!
それだけではありません。
何やら気になる記述が。

今日は……祝日の月曜日です。
「運転日:火・木・土」
え?待って、ダメ?
あかんやつ??
でも、こっちにはこう書いてある

どっちやねん!!
ここ結構大事やねんどっちやねん!!!
このままゆらのすけへの仇討ちのみで京都へ戻るか、岡山入りで本懐を遂げるかどうかの瀬戸際ですから、バスの営業所まで行くことにしました。
ウイング神姫赤穂営業所


神姫バスの子会社で、ウエスト神姫を改め、ウイング神姫としたという。
神姫バスの直轄地、姫路・明石城下を基軸に、赤穂~宍粟~丹波篠山と、翼を広げたかの如く広がる後背の過疎地帯を運行する子会社を整理統合したら、単に「ウエスト(西方)」だけとは言い切れなくなったので「ウイング」神姫ってわけです。
社名はカッコいいですが、バス会社の経営は全国どこでもカツカツで切実です。
「ていじゅうろう、今日走るで!」
運行管理の方からの力強い返答と地図付きの時刻表をいただき、安心した我らは、長い滞在時間を有効に使うため、赤穂城を訪れることにしました。
しかし、バスの名前が「ていじゅうろう」てww
「てえへんだ!ていじゅうろうがいっちまったってよ!!」
「んなあにい!?そりゃてえへんだ!てえじゅうろうのあんちくしょーめ、てやんでえ!!」
赤穂市博物館

赤穂と言えば、赤穂浪士のふるさと、忠臣蔵のふるさとです。
赤穂反浅野家家臣団の筆頭は大石内蔵助、大石は浪人となって以降の一時期、京都は山科に潜伏していたことから、大石神社があったり義士まつりがあったり、親しみ深い人物です。
彼らの足跡をたどる展示や、赤穂の製塩技術、全国に先駆けて整備されていた上水道など赤穂の誇る歴史について、じっくりと学ぶことができました。
赤穂城址


1600年に池田長政によって築かれた城を前身として、1645年に浅野長直が改めて築城し直した城郭が「赤穂城」であり、遺構が残されている。
この「浅野」は、のちに忠臣蔵で描かれた赤穂浪士たちが仕えた、あの浅野家である。
現在は建物こそ残っていませんが、庭園や堀、天守台などの城郭は当時のままとされています。

空いていて、天気も良くて気持ちいい!


赤穂ラーメン

時間があるので、懸案だった昼食もいただきます。
赤穂は塩の名産地なので、塩ラーメンを出す店が多くあります。
播州赤穂駅前の「麺房」さんでは、あっさりしたスープが特徴で、調子に乗って餃子も頼めるほどリーズナブルで、大変満足しました。
さて、ここまで全くもって普段のバス旅らしくない午前中を過ごしてきましたが、まぁ前回がなかなか悲惨な展開だったので、たまにはこういうのもいいんではないでしょうか。
有年に入ってからというもの、赤穂市内の累計滞在時間は他都市とは比較にならないほど長く、赤穂について大変詳しくなった気がします。
ありがとう、赤穂。
また来るよ、赤穂。
そのときはきっと、電車に乗って。
(バスは!まじで!大変!!)
